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令和4年度活動記録

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令和5年 3月25日(土) 3月講演会 火箱芳文氏

令和5年 2月25日(土) 2月講演会 松原実穂子氏

令和5年 1月21日(土) 1月講演会 渡部悦和氏

令和4年12月17日(土) 12月講演会 奥本康大氏

令和4年11月26日(土) 11月講演会 矢野一樹氏

令和4年10月29日(土) 10月講演会 小野田治氏

令和4年10月 9日(日) 葛城奈海と行く高尾山ハイキング &ビアガーデン+バーベキュー

令和4年 9月 3日(土)~5日(月)葛城奈海&矢野一樹(元潜水艦隊司令官)と行く防人と歩む会研修旅行

令和4年 8月27日(土) 8月講演会 火箱芳文氏

令和4年 7月23日(土) 7月講演会 小川清史氏

令和4年 6月25日(土) 6月講演会 田中英道氏

令和4年 5月21日(土) 5月講演会 河野克俊氏

令和4年 5月14日(土) 旧海軍墓地参拝 防人と歩む会・広島

令和4年 4月23日(土) 4月講演会 矢野一樹氏


令和5年3月25日(土) 3月講演会 火箱芳文氏

日 時:3月25日(土) 15:00~17:00
場 所:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 3階 A会議室
    東京都新宿区市谷八幡町8番地
    アクセス
講 師:火箱 芳文氏(第32代陸上幕僚長 )
演 題:「東日本大震災と自衛隊の危機管理」
懇親会:近隣別会場にて懇親会を行います 。
    ◎参加費4000 円 但し高校生以下無料。
くわしくは→ こちらから

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●当会スタッフ講演会リポート

 今年の3月11日で東日本大震災から12年が過ぎました。今回は当会葛城会長のたっての希望でそ
の東日本大震災時に第32代陸幕長として自衛隊災害派遣の指揮にあたっていた火箱芳文 (ひばこ よ
しふみ)元陸幕長をお招きして「東日本大震災と自衛隊の危機管理」という演題でご講演いただきまし
た。火箱講師は昨年8月にも当会で「戦略3文書の見直しに期待すること」という演題でご講演をいた
だいております。
〔略歴:福岡生まれ71歳、74年防大(18期生)を卒業し、同年陸上自衛隊に入隊。第1空挺団中
隊長や富士幹部レンジャー課程等を経験。第10師団長(名古屋)、防衛大学校幹事(副校長、横須賀
)、中部方面総監(伊丹)を経て、09年3月に第32代陸上幕僚長。11年8月に退官し三菱重工㈱
顧問の他、諸団体の理事・顧問として幅広くご活躍〕因みに、自己紹介の際“バラ栽培”がご趣味と話
されていました。

東日本大震災は2011年3月11日午後2時46分に三陸沖に発生した大地震で、地震の規模はモー
メントマグニチュード9.0で、日本周辺における観測史上最大の地震でした。2万2,318名の死
者・行方不明者(震災関連死を含む)と6,242人の負傷者が発生しました。これは明治以降、関東
大震災、明治三陸地震に次ぐ3番目の規模の被害でした。地域も1都1道10県で死者が発生し、1都
1道18県で負傷者が発生し広範囲に及びました。この大地震に国中がショックを受けました。被災地
から遠く離れていようとも、多くの国民はテレビが映しだす灰色になってしまった被災地の映像に祈る
気持ちで見入っていました。

 阪神淡路大震災で被災地の悲惨な光景は知っていましたが、津波被害は異次元の様相で、人間の無力
さを思い知らされるかのようでした。震災直後に驚いたことは、テレビで津波が上陸し進行しているヘ
リコプターからの生映像が放映されていたことです。津波は停泊中の船舶や海岸近くの建造物を一気に
破壊し、それらの瓦礫を自らの兵隊のように操り、奥の住宅地に襲い掛かっているようでした。なんと
津波の進行方向50m先の道路には乗用車が走っている映像もありました。海辺の小さな町は津波にみ
るみる飲み込まれていきます。目に飛び込む映像に衝撃を受けましたが、こんなに早く陸上自衛隊のヘ
リコプターが現場上空から撮影していることにも驚きました。津波発生の翌日、翌々日になると自衛隊
による救援・支援活動の映像が流れる様になりました。こんなに早く救助が始まるのか、と若干の安堵
を覚えました。しかし、12日の15:36には福島第一原発1号機で水素爆発が発生してしまい新た
な不安と併せ不気味な恐怖が広がっていったことを覚えています。

 地震発生当時、火箱陸幕長(当時)は防衛事務次官室で会議中だったとのことです。三陸沖が震源で
尋常な地震ではないことから会議は即中止、エレベーターが止まってしまったので、14階から4階の
自室まで階段を駆け下りたとのことです。この時「戦が始まったんだ!」と直感し、「どこの師団、旅
団をどう動かせばよいか」と頭を巡らせながら階段を降りていたとのことです。大災害の非常時であっ
ても、自由に部隊を動かすわけにはいきません。尖閣をはじめとする南西諸島警戒、北陸の原発警戒、
南海地震の備え、首都防衛等の諸条件を考慮したとのことです。ボートを持っている施設団も組み込む
など過去の経験を踏まえ、自室に着くや各部隊に出動命令を出したそうです。本来、出動命令は陸幕長
ではなく統幕長の権限なのです。緊急時で都道府県知事の要請がない場合でも防衛大臣から統幕長への
下命がルールとのことです。災害に遭った場合の生存率が高いのは発生から72時間以内と言われていま
す。地震発生が午後2時46分ですから、あと1時間もしたら暗くなり始めます。いったん隊員が帰宅
してしまうと再び招集するのに丸一日遅れてしまう、という信念で各方面隊に連絡したそうです。まさ
に辞任覚悟の出動命令でした。

 火箱陸幕長の決断で早い段階から派遣人員、機材の増強が図られました。3月12日01時の時点で
東北方面隊を中心に人員8400名、航空機190機、艦艇25隻の規模に達しました。翌12日15
時時点では人員20,000人になります。翌13日には菅首相(当時)から10万人規模の指示が出
され、同日15時時点では人員5万人規模に、14日には6.6万人、16日には7.6万人、19日
11時時点では《人員10.6万人、回転翼機209機、固定翼機321機、艦船57隻》態勢となり
ました。命令から約1週間で目を見張るような救援態勢を構築しています。その結果、人命救助総数
27,157人のうち自衛隊による救助が19,286人(71%)に及んだそうです。火箱陸幕長の
素早い決断がなかったら、人命救助数が大きく異なっていたと思われます。

一方、救援支援の規模としては《延べ自衛官動員数約1,066万人、291日間》で、阪神淡路大震
災の《延べ自衛官動員数約300万人、約100日間》の約3倍になります。併せて東日本大震災にお
ける自衛隊の生活支援活動として、《給水支援:32,985t 給食支援:約501万食 入浴支援
:約109万人》に及んだそうです。このことにより、自衛隊は遺族や自治体から感謝されるばかりで
はなく、国民の信頼を確固たるものにしました。
火箱講師はこの大地震により福島第1原発の全交流電源喪失することによる原発危機に自衛隊が関わる
ことになった経緯をお話になりました。当時、ヘリコプターを使った3号機への放水や地上からの放水
がたびたびテレビで放映されていたことを記憶している方も多いと思います。

 12日の1号機の水素爆発の際に枝野官房長官から「爆発的事象があった模様です」という曖昧な表
現なので、ピンとは来てなかったそうです。14日11時5分に3号機の水素爆発の状況をテレビで見
るに及んで、「なんだ、これは。原発が危ない!」と認識を改めたそうです。自衛隊法の原子力派遣任
務は避難民の誘導や介護、除染所運営等の原発の周辺で行うことを想定していて、原発の構内に入る権
限すらなかったのです。しかし事態に即応せねばならず、中央即応集団(CRF、本来の原子力派遣任
務部隊)を強化して500名体制にしたそうです。15日に北澤防衛相から招集があり、「原発に水を
まいてくれないか」と言われたそうです。火箱陸幕長はヘリコプターの中で一番大きいのは陸上自衛隊
の「CH-47(チヌーク)」であり日頃から山火事の消火に当たっていて練度も高いので、陸上自衛
隊がやるしかないと思ったそうです。燃料プールが干上がるのが最も危険であり、一刻も早く注水が必
要でした。放射線量等の諸条件があり、17日決行されました。すぐに効果測定はできませんでしたが、
放射線量が低下してきて放射物質の拡散の勢いを削ぐことができたので、地上からの放水に繋げたそう
です。自衛隊、消防、警察等が連携するにあたり、首相補佐官から「自衛隊が指揮しろ」という書面が
送られてきたそうです。法的根拠がないので首相名で「自衛隊が全体の指揮をとる」の正式な指示書に
してもらったそうです。ただし自衛隊は調整役に徹することで、スムーズな運営に心がけたそうです。

そして、このタスク実行がアメリカを変えることになります。オバマ大統領(当時)は自衛隊が動いた
のを見て、「素晴らしい」と菅首相に伝えたそうです。ここからトモダチ作戦が本格化したそうです。
日本国民は祈る気持ちで凝視していましたが、世界も日本がどのように対応するのかを注目していたの
でしょう。

 時間は15日に戻りますが、防衛大臣補佐官がチェルノブイリ原発事故を研究しているという人物を
連れて来たそうです。彼いわく、「2号機の原子炉にホウ酸をまいてください」彼の見立てでは、2号
機はすでにメルトダウンもしくはメルトスルーを起こしている可能性がある。事態を抑えるには、ホウ
酸をまくことが有効とのことです。ホウ酸はホウ素を含む化合物で、ホウ素は中性子を吸収する性質を
持っているそうです。火箱陸幕長はチェルノブイリ原発事故の対処で、ホウ酸、石灰、鉛、粘土、砂な
ど50tをまいたうえで外側をセメントで固めて「石棺」化したことを思い出したそうです。ホウ酸1
袋が20~30kg、250袋で7.5t程度、チヌークなら一度に9tほどのホウ酸を運ぶことがで
きます。ただし、「犠牲者がでるな」と直感したそうです。すぐ検討に入り、結局建屋の壁に空いてい
る穴から投入する方策しかないとの結論に達しました。隊員が建屋の上に降り、壁の穴に近づき、ホウ
酸の入った袋を投げ入れる作業になります。隊員はもちろんですがホバーリングしている操縦士も致死
量に近い放射線を浴びるのは必至です。このタスクをいくつか条件を変えて何度もシュミレーションし
てみました。「これは決死隊になる」…、全員無言でしたが自明でした。

 「しかし、最悪の場合は、福島を境に日本列島が分断されかねない」と思い、覚悟を決めたそうです。
『人の命は地球より重いが、私たちの任務はさらに重い。なぜなら、私たち以外にできる人間はいない
のだから』という信念に従ったとのことです。自分も参加するつもりだったし、退官間際の人選が望ま
しいとのことでした。火箱陸幕長はこの作戦を「鶴市作戦」と呼び、密かに準備を進めたそうです。こ
の作戦を知っている者は、自分の周囲の数人と運用支援部長、中央即応集団の宮本司令官、金丸章彦・
第1ヘリコプター団長ぐらいだったそうです。いずれにせよ、この作戦は実行されなくて済み、本当に
良かったです、と話されました。

※※鶴市作戦 火箱陸幕長の郷里の福岡と大分の境を流れる山国川にまつわる話。平安時代その川の氾
濫を収めるために地元の地頭頭が人柱に立つことになった。すると、彼の家臣の娘のお鶴とその息子の
市太郎が「父祖の代からの恩に報いるのは、今」と身代わりになり井堰に塗り込められました。以後山
国川が氾濫してもこの井堰が壊れることはなかったと言われているそうです。その伝説にちなんで鶴市
作戦と呼んだということです。

 ご講演が終わり会場の照明が灯されると、火箱講師の目が充血しているのが分かりました。講師は震
災時の責任ある立場として全力で取り組んだことを丁寧にお話されましたが、決して思い出などではな
く心は当時と現在が繋がっているように感じました。穏やかな話しぶりですが、職務や国家への使命感
や情熱に聴衆は胸を打たれたことでしょう。高度成長後から平成までの日本を精神史の視点からいうと
“空白”です。戦後教育を受けた人たちが教育者や社会の指導者層になると社会全体が国家の自主自立
を放棄することに躊躇することもなく、わが身可愛さと経済合理性だけを求めてきた感があります。結
局、道徳観や尊厳の意識が乏しい偏差値エリートたちは、社会に何も生み出すことができませんでした。
突き詰めるならば、彼等の頭には“国家”がないのです。国家観が希薄すぎるのです。古代からチャイ
ナや西洋との軋轢や葛藤の中で歴史を紡いできた先人への尊敬がないのです。火箱講師の言葉には君民
一体で国を護ってきた武人を感じました。大和魂を感得できました。その方向こそ日本が生きる道であ
ると信じます。
                                            以上


令和5年2月25日(土) 2月講演会 松原美穂子氏

日 時:2月25日(土) 15:00~17:00
場 所:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 3階 C会議室
    東京都新宿区市谷八幡町8番地
    アクセス
講 師:松原 実穂子氏( NTT チーフ・サイバーセキュリティ・ストラテジスト )
演 題:「ウクライナと台湾で見るサイバーセキュリティ状況」
懇親会:近隣別会場にて懇親会を行います 。
    ◎参加費4000 円 但し高校生以下無料。
くわしくは→ こちらから

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●当会スタッフ講演会リポート

 2月は日本のサイバーセキュリティの第一人者である松原実穂子(まつばら みほこ)氏を講師にお
迎えして、「ウクライナと台湾で見るサイバーセキュリティ状況」という演題でご講演いただきました。
松原講師は早稲田大学をご卒業後防衛省に9年間勤務、その後フルブライト奨学金を得てジョンズ・ホ
プキンズ大学高等国際問題研究大学院(SAIS)に留学し、国際経済及び国際関係の修士号を取得し
ています。ハワイのシンクタンク、パシフィック・フォーラムCSISにて研究員として勤務経験もあ
ります。日本帰国後は株式会社日立システムズでサイバーセキュリティのアナリスト、インテル株式会
社でサイバーセキュリティ政策部長等をご経験され、現在はNTTのチーフ・サイバーセキュリティ・
ストラテジストとして情報発信と著作も含めた提言に努めています。なお今年、新進気鋭の言論人に贈
られる「第23回正論新風賞」に選ばれています。《プロフィールは出身大学以外非公開ですが、正論
新風賞受賞の関係で46歳と記載がありました》

 近年サイバー被害は世界中で国家や企業に広がっており、事例が判明するに伴ってその脅威も広く知
られるようになりました。因みに2019年の世界のGDP合計は約88兆ドルとのことですが、うち
7%の約6兆ドルがサイバー被害を受けてるとのことです。日本のGDPが世界の約5%(2019年)
ですから日本のGDPの1.4倍の額が失われていることになります。2025年には10.5兆ドル
になるとの予測もあります。これは日本国2個分のGDPが消えてしまう事と同じですから、戦争のよ
うに破壊や死亡という残酷な光景は目の当たりにはしませんがその額にぞっとしてしまいます。被害額
に含まれるのは、データの破壊、盗まれたお金の額、生産性の低下、知的財産や個人情報の窃取、横領、
通常業務の中断などの被害の他、サイバー攻撃に関する調査、侵入されたデータやシステムの復旧や削
除にかかった費用、風評被害などです。
日本は世界第三位の経済大国なので攻撃者の垂涎の的らしく、標準型メール攻撃において日本が第三位
の標的になっているそうです。〔第1位米国(38%)2位インド(17%)3位日本(11%)4位
台湾(7%)…〕

 松原講師は私達に問いかけます。「あなたが会社の財務担当者だとして、ある日社長から緊急と題し
たメールが送られてきたと想像してみて下さい。『至急、〇〇買収案件のため、極秘扱いで○○口座に
入金してほしい』と命じられたなら、どう対応しますか?」と。これは典型的なビジネスメール詐欺で、
まさに【デジタル版振り込め詐欺】と言えます。17年の日本航空で3億8000万円の詐欺被害の事
例は、取引先である海外の金融会社の担当者を名乗る人物から送られた航空機リース料の支払いを求め
る偽の請求書メールだったそうです。この対策として今後はこのような場合は社長に直接電話確認が考
えられます。しかし海外の事例では、ドイツ訛りの英語を使う社長の音声をAIで作り出し、その偽音
声で電話を通して振込指示の例があったそうです。攻撃者は騙しのレベルを上げてきますので、リスク
最小化のために組織全体で二重・三重の安全対策を常にブラッシュアップする不断の努力が必要という
事でしょう。また盗まれた諸情報は他の犯罪者にダークウェブで売ることもあるので、対策を怠ると同
じ被害者が二重の被害を受けてしまう可能性もあるそうです。

 サイバーセキュリティで使われる基本用語として、そもそも《サイバー》とは「コンピュータやIT
の」または「コンピュータやITに関連する」という意味だそうです。《ハッカー》は50年代に「独
創的な方法で色々試して問題を解決する人」という前向きな意味でしたが、ITの進展とともに今では
「サイバー攻撃者」と同義に捉えられています。《ランサムウェア》はRansom(身代金)とSo
ftwareの(ウェア)の造語で、司法が追跡しにくい仮想通貨(ビットコイン等)での支払いを要
求してくるケースが多いそうです。DDoS攻撃(ディードス Distributed Denia
l of Service attack/分散型サービス拒否攻撃)とは複数のコンピュータから大
量の処理要求を相手のサーバーやウェブサイトに送りつけ、ダウンさせる手法を言います。《ボット》
とは、DDoS攻撃を行う際、攻撃者はウィルス感染させて使う「踏み台コンピュータや監視カメラ、
ルーター」などのIOT機器のことを言います。これらの危機は攻撃者によって遠隔操作されたり勝手
に通信したりして、恰も攻撃者がまるで自分の手足のようにロボットの存在であるため「ボット」と呼
ばれるそうです。「ボット」が集まり構成さるネットワークを《ボットネット》と呼び、そこを介して
狙われたサーバーやウェブサイトに大量のデータが一斉に送りつけられるそうです。ガードが手薄だと
ひとたまりもありません。因みに、ランサムウェアに遭遇し身代金(解決金)を支払ったとしても、それ
で片が付き全データを復旧できた企業は僅か8%に過ぎないそうです。身代金を支払った企業の8割が
再び攻撃被害に遭っているのが現実のようです。

 現在ロシアと戦争継続中のウクライナについて松原講師は想定よりサイバーセキュリティが進んでい
たとの見解でした。マイダン革命後からアメリカやNATOの支援を受けて着実にサイバーセキュリテ
ィのレベル向上に取り組んできたようです。ウクライナは常時ロシアからのサイバー攻撃を受けていた
ので、教えにきたアメリカの教官さえも実務においてウクライナから学ぶことが多かったとのことです。
一方ロシアでは、ロシアの国益になるのならサイバー攻撃者は罰しない法律が作られるとのことです。
大規模な妨害型攻撃を成功させるためには1年半から2年の準備期間が必要とのことです。ロシアはウ
クライナのサイバーセキュリティレベルを見誤ったのかも知れません。

 ウクライナ戦争で興味深いのは、約50にも上るハッカー集団が介入してきたことです。アノニマス
やキルネットなどの有名なハッカー集団もいます。ウクライナ戦争自体も奇妙な戦争ですが、戦争の民
営化とともに混乱に乗じて利益を貪ろうとする輩が群がる構造が見えてきて、戦争を止めさせる役割は
どこの誰が担うのか依然不透明です。2月にバイデン大統領がキエフに電撃訪問しました。停戦への動
きに繋がることを期待したいです。

 日本のサイバーセキュリティはどうなのでしょうか?松原講師は、日本は他者を疑わない国民性のた
めか国レベルのサイバーセキュリティの予算・人材とも先進諸国からは見劣りがするそうです。しかし、
大企業を中心とする民間はそれなりに頑張っているとの見解でした。
 日本のサイバー防御能力・ランサムウェア攻撃対策の国際比較をみると、健闘していることが分かり
ます。
感染率:米(72%)英(78%)日(50%)⇒支払率:米(64%)英(82%)日(20%)
なお、感染した企業の業務停止日数は平均で25日だそうです。
 また21年の東京五輪のサイバー防御は大成功だったとのことです。こういう大会はサイバー攻撃の
格好の餌食になるのですが、これほどスムーズに運営できたのはオリンピック史上珍しいとのことだっ
たそうです。18年2月開催の平昌(ピョンチャン)オリンピックでは「オリンピック・デストロイヤ
ー」(複数)なるものにより開会式チケットの印刷ができなくなったり、会場でWi-Fiサービスが
利用できなくなったり、プレスセンターのTVやインターネットにも障害が出たそうです。
 しかし日本の将来を考えると、自前の情報機関もなく、スパイ防止法等の法律も未整備のままでいる
ことは世界のサイバー戦争のなかで大きく後れを取ってしまうと懸念されます。諸外国では情報機関で
訓練を受けた人材が民間企業のサイバーセキュリティ業務を担っているケースが多いそうです。ここ数
年、世界的にサイバーセキュリティ担当者の負荷が増えていて、多くの方がストレスを抱えています。
日本においても経営層の無理解からくる人員不足と予算不足で、退職に至るケースも出ているようです。
十分な対策の予算もつけないで、ハッキングされたら責任追及されるのではたまりません。松原講師は
エリート及びリーダーにはサイバーセキュリティの現状をキチンと理解してほしいと訴えていました。
またこの分野はまさにグローバルなので、語学、法律、地政学、国際関係、宗教等の総合知が求められ
るそうです。個人の能力アップも必要ですが自分一人では無理なのでそういうネットワークが必要にな
ってくるそうです。確かに世界中のハッカーとの戦いですから、常に最新情報を入手し幅広い分析・対
策ができる態勢の構築が必要でしょう。

 ご講演を拝聴して、確かにアナログ時代とサイバー時代のスパイ・妨害活動はその規模とスピードが
全く異なることが分かりました。多様なリスクに晒されているなか、日本のインテリジェンスを抜本か
ら構築してほしいと思いました。
 ご講演の後、松原講師は懇親会にご出席いただきました。当会の葛城会長の締めの挨拶のなかで松原
講師に投げかけた言葉に対して、次のように回答してくれました。「国際会議などでは他国の代表から
日本は消極的との発言はよくあります。そういう時、私は必ず日本の立場と実績を言うようにしていま
す。すると相手の態度も変わってきます。私は外国にいる時は、外交官の気持ちで戦っています」と言
い切りました。その言葉に会場は大盛り上がりで拍手が長く続いていました。ご講演でもサイバーセキ
ュリティ担当者への共感と思いやりを示していましたが、この言葉で日本の文化伝統への尊敬や日本人
としての矜持をお持ちの方と確信できました。日本にめっきり少なくなったノブレス・オブリージュを
持ったエリートに出会った気分でした。その日はこの松原講師の頼もしい言葉に癒される思いで帰路に
つきました。今後のご活躍をお祈りいたします。ありがとうございました。
以上

 

令和5年1月21日(土) 1月講演会 渡部悦和氏

日 時:1月21日(土) 15:00~17:00
場 所:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 3階 C会議室
    東京都新宿区市谷八幡町8番地
    アクセス
講 師:渡部 悦和氏(陸自・元東部方面総監)
演 題:「ロシア・ウクライナ戦争と日本の防衛」
懇親会:近隣別会場にて懇親会を行います 。
    ◎参加費4000 円 但し高校生以下無料。
くわしくは→ こちらから

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●当会スタッフ講演会リポート

 1月は陸上自衛隊元東部方面総監であられた渡部悦和(わたなべ よしかず)氏を講師にお迎えして、
「ロシア・ウクライナ戦争と日本の防衛」という演題でご講演いただきました。渡部講師は昭和30(
1955)年8月生まれの67歳、東京大学工学部を卒業して1978年に一般幹部候補生として自衛
隊に入隊した方です。防大22期相当になり、当会の矢野理事長(海自)とは同期に当たるそうです。
陸上幕僚監部ではほぼすべての分野の業務に携わった経験があるとのことです。さらに外務省出向や冷
戦後の1991年~1993年にはドイツ連合軍指揮幕僚大学への留学等を通じ、長く日本の防衛政策
策定・自衛隊の運用に関する要職につかれた経歴をお持ちの方です。現在は渡部安全保障研究所の代表
を務めながら分析・著作活動を基本としていますが、予想もしなかった露宇戦争を契機とした危機意識
の高まりを受けて、講演依頼やTV出演依頼が激増し多忙な日々を送っているとのことです。著作の1
つには当会矢野理事長を含めた4名の共著の「台湾有事と日本の安全保障―日本と台湾は運命共同体だ」
というご本もあり、台湾でも翻訳出版されると「矢野理事長の主張する『原子力潜水艦による防衛』と
いう論考が衝撃的で台湾で大好評でした」と話されました。

 渡部講師は、露宇戦争について「これはプーチンの妄想から始まった」と断定しました。
 そもそも、現在の世界で覇権国のアメリカに対しその地位を狙う中国の2大国が主役で、米中戦争と
いう枠組みの中でロシアが出てくる場面ではない。なのにロシアが出てくるのはプーチンの妄想以外に
は考えられないというのが渡部講師の論理です。確かにNATOはこの20年間に東方に拡大し続け、
その都度プーチンは約束違反と批判してきたのも事実です。そしてプーチンの妄想を大きく膨らました
のは「新型コロナ」に他ならない、と続けます。新型コロナ発生以来、プーチン大統領は側近も寄せ付
けずにロシアの歴史を深く勉強したとのことです。そこで得た結論は「ウクライナ、ロシア、ベラルー
シは同民族で一体なのだ」ということ、そして「同民族が一体であるためには、すべての国はロシアの
支配下にいなければならない」という信仰にも似た強い信念が出来上がったとのことです。このことが
ウクライナの主権を認めない戦争に駆り立てたとの見解を示しました。この妄想からの戦争を物語るよ
うに、戦争初期のロシア軍の動きは信じられないくらいの未熟さを露呈したとのことです。

 陸戦においては歩兵部隊、砲兵部隊そして機甲部隊(戦車等)の諸兵科共同作戦の成否が勝敗を分け
るとのことですが、それが上手く展開できていなかったそうです。ロシア軍はこの諸兵科共同作戦を歩
兵200人、戦車10両、装甲歩兵戦闘車40両の「大陸戦術群」として125個用意したそうです。
それが上手くいかないのは、歩兵の数が少なすぎる事、さらに指揮・統制機能が十分に機能していない
とのことです。

 指揮官は機動と火力を連携させ、電子戦をやり、補給や修理などの兵站を行なわなくてはなりません。
そのためには実践訓練も含めて優秀な指揮・統制システムが必要ですが、結果からするとあまりにもお
粗末だったと分析されました。それを裏付ける様にロシア軍は戦争当初に兵員19万人、戦車4000
両を投入したとのことですが、ウクライナの資料によるとロシア国軍の死者数は119,300人にの
ぼり、戦車は3,139両破壊されたそうです。情報力でもウクライナ側が優勢とのことです。

 ゼレンスキー大統領はアメリカとNATOに戦車とハイマースを要求しています。ドイツの戦車『レ
オパルト2』は高性能らしく、300両必要とのことです。独・ショルツ首相は難色を示しているそう
ですが、渡部講師に言わせれば、ヨーロッパ13ヵ国に2,000両あるので、NATOが協調すれば
対応可能ではないかという見解でした。今後の展開としては、ウクライナは兵器を補填してもらえるが
ロシアにはそれがないので成り行きは自ずから明白だ、渡部講師はこのように見立てました。

 露宇戦争を踏まえて我が国の安保3文書について言えば、戦後の日本の安全保障の歴史上画期的な文
書だと評価できると言及しました。問題点を挙げるなら、「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」及
び「防衛力整備計画」がありますが、防衛省が関与できる「防衛力整備計画」策定のための『統合され
た軍事戦略』がない点だそうです。また、今回の安保3文書がここまで踏み込めたのは、露宇戦争もさ
ることながら2014年に内閣の国家安全保障会議の事務局として内閣官房に「国家安全保障局(NS
S)」を置き、情報収集・分析の蓄積が功を奏したのだろうとの事でした。また、今回の露宇戦争は教
訓の宝庫とのことです。陸戦における戦車の重要性を再認識させました。現代の戦車はオートマチック
操作になっており、訓練期間も少なくて済むとのことです。きっと習近平はこの露宇戦争の成り行きを
じっと観察している事でしょう。

 渡部講師は情報戦についても言及しました。渡部講師としては日本の大手マスコミは一応ファクトチ
ェックも行っているのでほぼ正確、巷のユーチューブの情報に惑わされないでくださいと警鐘を鳴らし
てご講演を締めました。

 プーチンはロシアの歴史をどのように勉強したのでしょうか。その昔ギリシャ人は交易の拠点として
ビザンティオン(現コンスタンチノープル)を造りました。主要品目は“奴隷売買”でありその入手地
が現在のウクライナ、ロシアそしてベラルーシに当たります。まさに“スラヴ民族”という呼称の所以
であり、辛く悲しい歴史を共有する同一民族なのです。“タタールのくびき”も同様に共通の民族の歴
史です。また、きっと同胞1,500万人を失った先の独ソ戦にも想いを巡らせたに違いありません…

 プーチンは政治家になる前にサンクトペテルブルグ大学の法科の教授に招聘されていたくらいの学者
でもあったので、より深くスラヴ民族の宗教と歴史を学び、その精神的土壌を心に刻んだのでしょう。
その想いが安全保障においてもヨーロッパには同化できないという固い信念を作り出したのかも知れま
せん。
翻って私達の日本の安全保障はどうでしょうか。大東亜戦争後、本来の日本民族としての精神的土壌を
固めきれず無為に77年間を過ごしてしまいました。日本にとって最大の脅威は中国であり、中国を自
由に動かせないことが要点になります。アメリカはもはや2つの戦争はできませんから、アメリカが露
宇戦争に本格参戦すれば習近平は大喜びのはずです。アメリカが出てこないと分かれば、中国は台湾で
も尖閣でも朝鮮半島にだって何でもできてしまいます。日本はハンディキャップ国家とはいえ、アメリ
カの言いなりになるだけではなく、露宇戦争の早期終結に努力すべき時だと思います。それが現在の世
界のパワーバランスの中での日本の国益に直結するはずです。ご講演を通じて、日本は自国の防衛態勢
構築のための時間稼ぎをしなければならない場面まで追いつめられていると感じました。さらに日本の
防衛において、“必要最小限”という不可解な文言のない自主防衛に大きく前進してほしいと思いまし
た。
                                            以上

 

令和4年12月17日(土) 12月講演会 奥本康大氏

日 時:12月17日(土) 15:00~17:00
場 所:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 3階C会議室⇒8階会議室
    東京都新宿区市谷八幡町8番地
    アクセス
講 師:奥本 康大氏(言論人・文筆家)
演 題:「出光佐三が守った日本精神」~ 日本人にかえれと唱え続けた愛国者の生涯 ~
懇親会:近隣別会場にて懇親会を行います 。
    ◎参加費6000円(高校生以下は無料) <= 忘年会を兼ねております。奮ってご参加ください
くわしくは→ こちらから

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●当会スタッフ講演会リポート

 12月は当会とのご縁が深い奥本康大氏(おくもと こうだい、72才)を講師にお迎えして、「出
光佐三が守った日本精神―日本人にかえれと唱え続けた愛国者の生涯」という演題でご講演いただきま
した。奥本講師は昭和25(1950)年9月に元陸軍大尉奥本實のご長男として大阪市に生まれまし
た。昭和50(1975)年に出光興産に入社し、会社方針のごとく製造(現場)から販売までのほぼ
全業務に従事したそうです。現在は「空の神兵」顕彰会を主催し、正しい戦争の歴史を後世に伝える言
論・著作活動を幅広く展開されています。お父上の奥本實氏(陸軍中尉)は昭和17年2月14日イン
ドネシア・スマトラ島のパレンバン奇襲作戦に参加、329名の落下傘部隊が降下し、オランダ支配下
の空港やアジア有数の2製油所(ロイヤルダッチ、スタンダード)を制圧するという偉業を達成された
方です。後日、陸軍中尉としては異例の昭和天皇に単独謁見を賜った軍人です。日本にとってまさに石
油が死活だったことが分かります。余談ですが、藤山一郎や鶴田浩二が歌う「空の神兵…みよ落下傘」
はこのパレンバンでの英雄たちの雄姿を歌ったものとのことです。

 奥本講師は出光興産定年退職後に生前聞いた父親の戦争体験や父親の遺品・資料の整理を通じて、自
分は大東亜戦争罪悪論を払拭するべく、なぜ戦争が起こったのか、日本の兵隊はどのように戦ったのか、
故郷や国を想う兵隊の心情なども明らかにして、世に広く伝えなければならないと決意したそうです。
父親が活躍した落下傘部隊の戦いを原点に、あまり有名でない戦いについても資料集め、現地見聞、関
係者訪問等を通じてからその実像掴み、講演著作活動に繋げているそうです。

出光興産は出光佐三が創業した会社で、日本が占領したパレンバン製油所からの油を日本に運ぶ物流を
担当する会社でもありました。奥本講師は出光興産に入社され、当時社長だった出光佐三から直接薫陶
を受けたこともあるそうです。出光佐三は以前から有名人ではあったのですが、2012年に作家の百
田尚樹が出光佐三をモデルに「海賊とよばれた男」というタイトルで、主人公の国岡鐵造の生涯と国岡
商店が大企業になるまでを歴史経済小説として著したことで広く世間に知れ渡りました。この“海賊”
という単語が有名になってっしまいましたが、これは「これからは石油の時代になる」と見抜いた主人
公・国岡鐵造が、既成の油小売店の縄張り妨害にあって売れなかった打開策として「縄張りのない海上」
の漁船に軽油を売るというアイデアをインパクトのある表現にしたものです。現実には伝馬船に軽油タ
ンクと計量装置をつけたいわゆる“海上軽油スタンド”を考案したのです。陸上で油を一斗缶で入れる
手間がなくなり漁民たちに大評判になったそうです。あくまでも、出光商会の油販売を地上で妨害した
既成業者が揶揄した表現であって、出光佐三その人の人格とは程遠いものだと奥本講師は言います。出
光佐三の嫡男の出光昭介氏(名誉会長)もその“海賊”を不愉快に思っているらしいです。出光佐三は
愛国者であり国士ですが、会社経営には消費者本位という強い信念があったことが窺えます。

 出光佐三は明治18(1885)年に福岡県宗像郡に生まれ、神戸商高(現神戸大学)に進み、従業
員数名の酒井商会(小麦、石油、機械油取扱)に丁稚として入社したそうです。当時貿易商として躍進
していた鈴木商店に応募したのですが合格通知の届くのが遅かったので、先に決まった酒井商会に入社
することにしたそうです。仕事のすべてを覚えるためには小さい会社方が良いとの判断だったのかも知
れません。周囲から“丁稚”入社を怪訝視されたそうです。この丁稚奉公中に家庭教師先の日田重太郎
という神戸の資産家に見込まれ、独立することを勧められたそうです。この資産家は佐三に「働く者を
身内と思い良好な関係を築け」「己の考えを曲げず貫徹しろ」と戒めたそうです。

明治44(1911)年に佐三は門司で「出光商会」を創業します。会社が大きくなったのは大陸での
商売がきっかけです。なかでも満州鉄道への軸受油の独占納入が弾みになります。当時、鉄道車両の車
輪を潤滑に動かすための軸受油が冬に凍ってしまい役に立たなっていたそうです。大正8(1919)
年に佐三は試行錯誤の末にマイナス40度でも50度でも凍らない軸受油を開発したのです。他の油も
売れ出し会社は急成長します。翌年頃から台湾、朝鮮にも販路を広げます。昭和12(1937)年に
は中国にも進出し、この年佐三は高額納税者として貴族院議員になります。

この当時の石油業界はアメリカのメジャーがカルテルを組んで高い油を日本人に売りつけていました。
そこで、昭和13(1938)年に佐三は日本人にできるだけ安い油を提供するために、アメリカに油
を直接買いに行くためのタンカーを購入しています。日章丸の一世号です。そんなことをしたのは出光
が初めてでアメリカでも話題になったそうです。昭和15(1940)年には現在まで続く「出光興産
株式会社」を設立しています。前述のバレンパンからの日本への石油物流においては他の業者の見積も
りの10分の1程度の人数(200人程度)で提出し、陸軍省から軍属に選ばれています。

 戦後、出光興産は海外資産をすべて失ってしまいます(当時250万円、現在では約500億円)。
そして海外派遣の社員の800人程度が日本への帰省が始まります。佐三は60歳になっていましたが、
国を想う佐三はすぐさま行動します。8月15日の終戦日から丸一日かけて「玉音を拝して」という八
千字くらいの文章を纏めます。8月17日に佐三は在籍の社員を集めて、「私は、この際、店員諸君に
3つのことを申し上げます。一、愚痴をやめよ 二、世界無比の三千年の歴史を見直せ 三、そして今
から再建にかかれ」と力強く語りかけたのです。そして当時当たり前のように行われていた社員解雇を
行いませんでした。それは、日田重太郎との約束であり、社員をモノ扱いにしない人間尊重の出光の社
是でもあったのです。そのために、出光はいろいろな仕事をやります。農業、発酵事業、水産業、ラジ
オの修理や印刷業、なかでも過酷だったのが戦時中に海軍が使っていた燃料タンクの底に残った油の回
収でした。ガス爆発や健康被害等、様々な危険がある仕事なので各社が断っていました。それを出光が
受け、佐三と出光社員は、この劣悪な仕事をやり遂げました。会社存続もありますが、佐三の「日本再
興」の信念が社員一人一人に伝わっていたからだと思います。

 戦後、アメリカは石油など日本の主要産業を牛耳っていました。彼らは粗悪な商品を高値で日本人に
売りつけるのが当たり前でした。昭和25(1950)年の朝鮮戦争を契機に日本人の石油輸入も認め
られるようになります。すると佐三はすぐに日章丸二世号の建造に取り掛かり、昭和26年に竣工しま
した。

 この日章丸が昭和28(1953)年、イギリス海軍が石油輸出を妨害していたイランに出向き石油
を日本に運んでくるという離れ業をやってのけます。これが世に言う「日章丸事件」です。出光がイギ
リス海軍にケンカを売った事件として連日マスコミを賑わせました。当時の日本のほとんどの石油会社
にはメジャーの資本が入っており、このようなことは考えも及ばなかったのです。拿捕される可能性も
あり、佐三の一世一代の大博打です。イランの人達は日章丸の入港に歓喜して出迎えてくれたそうです。
その感謝の印として1船目の石油はタダにしてくれたそうです。日章丸事件は「今から日本の再建にか
かれ」という佐三の実践に他なりませんが、佐三の覚悟と魂に触れた当時の日本国民にどれほど感動と
勇気を与えたことでしょう。

 奥本講師は出光興産に勤務していた時のことも話されました。社内の約束事として、①定年がない 
②解雇がない ③出勤簿がない ④残業手当がない の〈ないない尽くし〉だったそうです。「大家族
主義」を徹底していました。そして第二の社訓が「人間が真に働く姿を現して、国家社会に示唆を与え
よ」であり、一致団結して国家に貢献する高邁な精神を謳っています。入社式では「卒業証書を捨てよ」
が恒例訓辞で、仕事を現場から学ぶことの意義や社会や国家に貢献する人づくりとその意識改革を訴え
たそうです。現場では国旗掲揚と皇居遥拝が毎日行われていたとのことです。奥本講師は軍人の家庭に
育ったので、国旗掲揚は当たり前の感覚だったそうですが、「皇居遥拝」はチョッと驚いたと感想を語
っていました。

 民族資本で成長してきた出光興産でしたが、平成18(2006)年に東証一部に上場することにな
りました。すると外資が入ってきてその結果、佐三の経営理念が排除されていきます。入社式での君が
代斉唱もなくなり、「国家に示唆を与える」事業もしなくなりました。奥村講師は次第に変わってしま
った、または変えられてしまった出光興産を見続けて、出光佐三のような経営者がいたことを伝えるこ
とを決意されたとのことです。

 出光佐三は昭和56(1981)年に満95歳で亡くなりました。昭和天皇はその直後に御製を詠ん
でおられます。 『国のためひとよつらぬき尽くしたる 君また去りぬさびしと思ふ』
日本の生命線であった石油事業に生涯全身全霊を注ぎ込んだ出光佐三への昭和天皇のお心が伝わります。

 日本はここ2・30年にわたって毎年、政治・経済・社会全般で「改革」が叫ばれてきました。その
結果が現在の日本社会なのですが、私たちは世界の中で存在感が増し、敬愛される国家になったのでし
ょうか。国として強くなり、国民は豊かになったのでしょうか。「改革」の多くは外資が日本に参入し
やすくする改革(=法改正)でしかありませんでした。それを彼らは“Remake”と言います。自
分たちが儲けやすくなるように“日本を作り変え”ているのです。「会社は社会の公器」や「労使協調」
といった日本型の資本主義が次々に破壊されていて、今も進行中です。出光佐三は世界のなかの日本を
冷静に見ていた人物でした。日本の価値を分かっていました。それを前提に個人や国家の独立自尊の在
り方を体現した方でした。それはとりもなおさず、現在の日本(人)に最も必要なことであり、日本精神
を取り戻すために忘れてはならない人物だと思いました。
                                            以上


令和4年11月26日(土) 11月講演会 矢野一樹氏

日 時:11月26日(土) 15:00~17:00
場 所:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 3階 F会議室
    東京都新宿区市谷八幡町8番地
    アクセス
講 師:矢野 一樹氏(元潜水艦隊司令官、防人と歩む会理事長)
演 題:「大東亜戦争における潜水艦作戦について」
懇親会:近隣別会場にて懇親会を行います 。
    ◎参加費4000 円 但し高校生以下無料。
くわしくは→ こちらから

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●当会スタッフ講演会リポート

 今回は当「防人と歩む会」の矢野一樹理事長(愛媛県生まれ66歳)を講師として、「大東亜戦争におけ
る潜水艦作戦について」という演題でご講演いただきました。ご経歴は、防衛大学校(電気)卒業
(22期)、幹部候補生学校(29期)を経て海上自衛隊に入隊、以後潜水艦関係の実務と海幕スタッ
フ、潜水艦ふゆしお艦長、舞鶴地方総監部幕僚長、潜水艦隊司令官(海将)という錚々たるご経歴をお
持ちの方です。
今年の4月は当会で理事長就任記念講演は「日本の核戦略」という演題でご講演いただいており、今年
度2回目のご講演になります。前回講演では、潜水艦のエネルギーは電気であるが原子力は無尽蔵に電
力を供給できるので、戦略・戦術両面においてその有利さにおいて全く別物であると知りました。
大東亜戦争は真珠湾攻撃で華々しく幕を開けましたが、日本優勢はそう長くは続きませんでした。私達
はドイツのUボートは第一次世界大戦から大成果を聞き及んでいきましたが、日本海軍における潜水艦
の歴史や大東亜戦争における運用はあまり知りません。潜水艦という新兵器、各国が日進月歩で技術改
良に邁進したこの新兵器を、海洋国の日本がどのように運用したかとても興味が湧きます。矢野講師は
、まず潜水艦の構造の概要を述べた後その製造の歴史から話を始めました。

 現在運用されている潜水艦の元になったのはアメリカの発明家で潜水艦の父と呼ばれるジョン・フィ
リップ・ホランドが1898年に単殻式船体にガソリン機関、蓄電池、発射管を装備した初の実用潜水
艦(艇)ホランド(水中排水量74トン)を試作に成功したことから始まります。矢野講師によると
1899年にはエレクトリック・ホランド社が日本帝国海軍に「ホランド艇」の購入打診があったそう
です。1900年代にアメリカ海軍が購入、その後いくつか改良されて日本、イギリス、ロシア各国に
広がりました。日本では当初5隻を購入し、1904年11月には川崎造船所(現川崎重工)が2隻を
国産しています。

 この日本帝国海軍の潜水艦運用における黎明期の1910年4月15日に、この国産潜水艇である
「第六潜水艇」に悲劇が襲います。広島湾でガソリン潜航実験の訓練中に浸水・沈没事故を起し、佐久
間勉艦長(中尉)以下乗員14名全員が殉職しました。潜水艇を引き上げてみると、全員が持ち場を離
れずに絶命している状況で発見されたそうです。その軍人精神に対しアメリカのセオドア・ルーズベル
トやイギリスの海軍軍人達に大きな感銘を与え、世界中から賞賛の声が集まったそうです。

 潜水艦の歴史は技術発展の歴史でもあり、技術が戦況を左右する典型例とも言えます。第一次世界大
戦までにはディーゼル機関の実用化、複殻式船体の採用、大型化などにより、航続性と航洋性が向上し
ます。水上航走で作戦海域に向かい、敵艦を発見すると潜航し魚雷攻撃を行う戦法が取れるようになり
ましたが、最先端を走っていたドイツにおいても第一次世界大戦当初はあくまでもUボートは補助艦艇
の位置づけでした。しかし、開戦から3か月後の1914年9月22日にU9がイギリス海軍の装甲巡
洋艦3隻を立て続けに撃沈して、その評価を一変させます。ドイツは「無制限潜水艦作戦」を実施し、
第一次世界大戦を通して商船5300隻、戦艦10隻ほかを撃沈させました。ただし、Uボートも178
隻が失われ、大きな犠牲を払ったことも事実です。《選抜組しかUボート乗員になれなかったそうです》

 第二次世界大戦においても当初Uボートは活躍しますが、連合国側もマイクロ波レーダーや新型ソナー
の実用化と航空機への搭載で潜水艦発見能力を高め、護衛艦による護送船団方式で防御を固めます。す
るとドイツの方は潜水艦用の新型魚雷(含むホーミング魚雷)開発等で命中率向上を図るなど対抗しま
す。連合軍の方は多くの哨戒飛行機を配備で監視を強化、ドイツはUボート浮上時被弾を回避させるた
めにシュノーケル機能を見直すことによって、長時間潜航を実現させて潜水艦の強みである隠密性を高
めます。このように技術開発力が戦果に直結しており、戦争においてはいかに分析・開発・試作・改良
のサイクルの研究開発態勢を保持することの重要性が分かります。

 それでは、わが日本海軍は大東亜戦争で潜水艦をどのように運用したのでしょうか。
輝かしい潜水艦による戦果もあります。南太平洋で日本とアメリカが制海権争いを繰り広げていた最中
の1945年9月15日に日本海軍の伊19が多数のスクリュー音を探知、潜望鏡で確認したところ、
空母1隻をふくむアメリカ軍空母機動部隊であることが判明。潜水艦を警戒してジグザク航行していた
ので追尾、やがて艦載機を発艦させるため空母「ワスプ」が進路を風上に立てる。この時ワスプとわず
かに900mという至近距離、伊19から発射された魚雷は3発がワスプに命中するという大成果を上
げました。伊19の成果はそれだけではありません。ワスプに命中しなかった魚雷3発が1万m先を航
行していた空母「ホーネット」の機動部隊に到達し、戦艦ノースカロライナと駆逐艦オブライエンに命
中したのです。偶然の結果だったでしょうが、このような潜水艦成果はどこの国にもありません。

 第二次世界大戦が始まってあまり時間がたたないうちに、主要国は戦いの突破口や展開を主導するの
は航空機と潜水艦という認識が一般的になってきたように思えるのですが、日本海軍は戦艦至上主義で
潜水艦はあくまでも補助艦艇の位置づけだったようです。大東亜戦争で日本軍を打ち負かせたアメリカ
海軍のチェスター・ニミッツ提督は戦後、日本海軍の潜水艦運用法について、「主要な武器がその真の
潜在能力を少しも把握理解されずに使用された稀有な例」と酷評しました。つまり、各国が「敵国の海
上交通路上の輸送船を攻撃し、その国の継戦能力を低下させることを狙う作戦」で効果を上げているの
にもかかわらず、「艦隊決戦主義」に縛られて、敵の戦艦を沈める任務など、本来潜水艦には不向きな
任務に投入し続けたことに対する批判でした。戦時中、日本の潜水艦が沈めた敵船舶は100隻程度、
方や日本が失った輸送船は約2400隻と言われています。アメリカはゆうゆうと護衛なしで商船が太
平洋を航海し、日本は輸送船が撃破され日本の兵隊を飢えさせたことを思うと胸が痛みます。「戦艦決
戦主義」を裏付けるように、日本海軍が潜水艦の浮上時の速度向上にかなり執着していたとのことです。

 また、日本海軍は小型潜水艇の開発にも異常な期待を持っていたそうです。「回天」や「海龍」等で
す。これらは魚雷発車時には浮上する、有効射程は800m、潜望鏡は1m以下なので外海は無理とい
う制限があります。自ずと使い方が限られており、戦略・戦術の在り方を考えさせられます。

 本日は、矢野講師の明朗なキャラクター全開で、潜水艦のプロフェッショナルとしての実践体験やそ
れにもとづく忌憚のない意見・見解を聞くことができました。熱弁でした。武人としての熱い魂と冷静
な分析力を感じました。私達は物事を仔細な検証なしに評価してしまう傾向があります。例えば「日本
の潜水艦は優秀だ」と言われており、そう信じてしまっている自分がいます。何が優秀で問題点はどこ
なのか踏み込んでいません。現に大戦中の日本の潜水艦は音が大きい弱点があったそうです。いつの時
代も分析における客観性欠如や利点過信は大きな災いをもたらします。
潜水艦という視点から大東亜戦争を見ると、戦術の即応性や柔軟性、戦略の合理性や妥当性に課題が浮
かび上がってきます。翻って現在の日本をみると、新型コロナ政策は硬直的で世界から取り残されてい
ます。日本の戦略もよく分かりません。強い日本のためには技術立国でなければなりません。しかし、
政府は働き方改革を進め、観光立国宣言をしています。これは日本弱体化政策推進ではないかと勘ぐっ
てしまいたくなります。矢野講師の言葉から、私達日本(人)の弱点である“情緒性過多”を指摘され
ていると感じました。強い日本になるためには世界を俯瞰して冷徹に戦略をたて、柔軟に且つ当り負け
ないで進んでいく強い信念が求められている事を学びました。
                                            以上


令和4年10月29日(土) 10月講演会 小野田 治氏

日 時:10月29日(土) 15:00~17:00
場 所:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 3階 C会議室
    東京都新宿区市谷八幡町8番地
    アクセス
講 師:小野田 治氏(元空将)
演 題:「航空戦に見るウクライナ、台湾有事、日本の防衛」
懇親会:近隣別会場にて懇親会を行います 。
    ◎参加費4000 円 但し高校生以下無料。
くわしくは→ こちらから

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●当会スタッフ講演会リポート

 9月は例会にかえて「長崎・佐世保研修旅行」だったため、10月講演会は2か月振りになります。今回
は元空将の小野田 治氏(68歳)をお迎えして「航空戦に見るウクライナ、台湾有事、日本の防衛」と
いう幅広いテーマでご講演いただきました。小野田講師は1954年、横浜生まれ。1977年防衛大学校
(21期、航空工学)を卒業後に航空自衛隊に入隊。指揮システム、警戒管制システムや航空自衛隊の防
衛計画・予算を統括する防衛部防衛課長等を経験された後、西部航空方面司令官(空将)等も歴任。さら
に2013~2015年にはハーバード大学上級研究員となり米国、中国及び日本の安全保障戦略を研究
しています。まさに幅広いキャリアと知見をお持ちの安全保障の専門家です。

 小野田講師は「戦争はなぜ起こるのか?」から話を始めました。それは①歴史の宿痾 ②トゥキディデ
スの罠 ③安全保障のジレンマ の3つとのことです。
 「歴史の宿痾」とは国家間の利害対立の歴史や文化の相違に由来するとのことです。確かにヨーロッパ
の歴史を見ると14世紀半ばに王位継承問題に端を発した英国とフランスとの間の100年戦争や17世
紀に結果的にハプスブルグ家が潰れた30年戦争、ビスマルクが作り上げた強いドイツ帝国を解体に追い
込んだ第一次世界大戦などがあげられるのでしょうか。中国、朝鮮半島そして日本の関係も古代から微妙
な関係です。特に朝鮮半島は地政学的に周囲の大国の優劣によって生き方を変えなければならない側面も
ありました。日本は海に囲まれていたので、近代までは大陸国に比べ幸運だったと言えるのでしょう。

 古代アテナイの歴史家トゥキディデスは紀元前5世紀に起こった陸上の軍事的覇権を握るスパルタと海
上交易で経済大国として台頭してきたアテナイとの「ペロポネソス戦争」について、「戦争が避けられな
かった原因は、強まるアテナイ(新興勢力)の力と、それに対するスパルタ(支配勢力)の恐怖心にあっ
た」と記しています。この「戦争が不可避な状態まで、従来の覇権国家と、新興の国家がぶつかり合う現
象」をアメリカの政治学者だったグレアム・アリソンが『トゥキディデスの罠』と呼びました。ハーバー
ド大学の研究によれば、覇権をめぐる争いを過去500年間さかのぼって分析すると、新興国が覇権国の
地位を脅かしたケースは16件あり、このうち戦争まで行きついたケースは12件だそうです。つまり戦
争確率は75%ということになります。現代を一般論で言えば、覇権国はアメリカで新興国が中国となる
でしょう。しかし、国際政治における軍事・政治力を加味した影響力でみるなら、ロシアの存在を過小評
価するのは危険のように思えます。いずれにしても、第二次世界大戦後の70年以上の平和は歴史家に言
わせると、史上まれにみる「長い平和」の時代のようです。

 安全保障はコストがかかります。武器や軍事システムも常に更新していかなければなりません。隣国が
軍備増強すればこちらも軍備にお金を使わなければなりません。これを「安全保障のジレンマ」と呼ぶそ
うです。現在の中国の隣国への侵略を観察すると、戦っている時よりも降伏してからの酷さが分かります。
非人道的で残酷、終わりがないので一層悲惨です。それを考えると、我が国の防衛予算が本当にGDPの
2%で良いのか真剣に考えるべきです。

 また小野田講師は国際政治を見る場合、次の2つの視点も必要だとも述べました。
一つは平和のための「国際システム」は機能しているのかという問題です。ソ連崩壊後にウクライナが独
立した際、ウクライナは核弾頭を1000発以上保有していました。米・NATO・ロシアはウクライナ
の安全を約束してこれらの核弾頭の廃棄を促しました。そのロシアが今回ウクライナに侵攻しています。
世界大戦の戦勝国が牛耳る「国連」は安全保障常任理事国にはロシアもいて、アメリカとチャイナが中心
に「棄権票」を乱発して機能不全に陥っているのが実情です。

 もう一つは、「正義」とは何かという問題です。国家には歴史があり文化があり宿痾があります。夫々
の国家にはその国家が存立するための精神的価値が不可欠であり、自分たちの独立や威厳を保つための行
為は「正義」となります。今回のウクライナに侵攻したロシアにしてみると、「NATOの東方拡大は約
束違反」、「ミンスク合意に反しウクライナ政府はクリミヤとドンバスのロシア系住民を抑圧した」等の
理由でロシアの行為は正義の実現に他なりません。プーチンにとっては、共産主義を否定するものの、同
じロシア正教を信じるスラブ民族がまとまることも「正義」なのでしょう。国際政治はバランス・オブ・
パワーが基本であって、正義を持ち出しても解には繋げられないでしょう。

 2月にロシアがウクライナに侵攻しましたが、プーチンはクリミヤの時と同じように短期間でウクライ
ナを支配下に置けると予想していたようです。しかし、ウクライナ国民は団結していてアフガンの時のよ
うには行きませんでした。アメリカ・NATOの軍事・武器支援はもちろんですが、アメリカによる情報
分析は殊の外有効だったと分析されました。

 台湾問題については、中国は着々と準備を進め侵攻着手のタイミングを狙っている段階になっていると
の見方を示しました。1949年に中華人民共和国建国し2049年に建国100年の「中国の夢」の実
現の年です。1つ目の夢が経済や科学技術等でアメリカを凌駕する「興国の夢」であり、2つ目がアメリ
カを凌駕する軍隊を作る「強軍の夢」、3つ目がとくに台湾問題を解決する「統一の夢」なのです。中国
の「確信的利益」の「国家主権と領土保全」項目の1番目に台湾問題を指定しています。(因みに6番目
が尖閣諸島になっていて日本にとって脅威です)また今年の7月1日の共産党創建100周年の祝賀式典
で習近平主席は「偉大なる中華民国の復興」という言葉を18回も使ったそうです。習氏は「中国は18
40年のアヘン戦争以降の屈辱の歴史を新民主主義革命によって断ち切り、復興の社会条件を作り上げた」
と話したそうです。要は領土としては10回外征し領土を最大にした清朝の第6代皇帝 乾隆帝(かんり
ゅうてい、1735~1796年、沿海州・アムール・チベット・モンゴル・新疆ウイグルを支配下、ミ
ャンマー・ベトナム・ネパールを朝貢国に)時代を夢見ている様に思います。これは世界に向けて“失地
回復宣言”と見ることもでき、まさに「中国の夢」は「世界の悪夢」に他なりません。

 今年の8月2~3日にアメリカの下院議長のナンシー・ペロシが訪台した際、中国は反発し、翌日の4
日から台湾を取り囲む6か所の海空域で弾道ミサイルなどの発射を含む「重要軍事演習」を始めました。
日本のEEZ内にもミサイルが2発着弾しています。また、中国航空機10機以上が中台中間線を越えて
台湾側に侵入したそうです。従来はアメリカの空母が中国の越境行為を阻止しましたが、今回はアメリカ
空母が南シナ海に入ることもなく見過ごす格好で、アメリカの影響力低下を露呈することになりました。
中国は虎視眈々とウクライナ戦争の推移とアメリカの参戦意欲を常に確認している状況と言えます。

 小野田講師は講演の冒頭に今年の9月22日のアメリカのブリンケン国務長官のコメントを紹介しまし
た。それは「もしロシアが戦いをやめれば戦争は終わるが、ウクライナが戦争をやめればウクライナは終
わるだろう」というものです。「ロシアのウクライナ侵攻は国連憲章違反なのでロシアが戦争を終わらせ
る責任がある。世界がウクライナに支援しなければウクライナは消滅してしまうので、協力してウクライ
ナを支援することが正義なのだ」とロシアの違法性と支援国の正当性を改めて主張しました。しかし、小
野田講師から教えていただいた「トゥキディデスの罠」で覇権構造を見てみると、アメリカは挑戦国を中
国とみているのかロシアとみているのかが問題になってきます。現在の世界を俯瞰すると、トゥキディデ
スの罠の変型判もしくはその二重構造と見ることもできそうです。現にアメリカの高官が「ウクライナ戦
争はロシアの国力を削ぐため」との発言もあります。そうだとすると、アメリカはウクライナ戦争を長引
かせる戦略をとるはずです。軍産複合体は莫大な利益を手中に収め、新たな市場も獲得したのも事実です。

 日本はウクライナ戦争で多くを学びました。日本の最大の脅威は中国でしょう。中国からすれば台湾と
先島諸島は同一エリアであり、無人島の尖閣諸島は最も上陸しやすい島になります。そしてアメリカはと
っくに世界の警察官ではなく2正面作戦を展開する能力すら限界がありそうです。しかも核保有国とは直
接戦争は避けることが分かりました。「トゥキディデスの罠」が喧伝されている時代は世界が大きく変わ
る時代です。各国政府は2・30年先、中国に至っては50年から100年先を見据えて進んでいるよう
に見えます。一方現在の我が国の国会を見ると「統一教会問題」に終始しており、私たちの政府や政治家
は何年先を見据えて国家を運営しているのだろうかと不安になります。ウクライナ戦争と台湾有事のご講
演内容でしたが、日本が今までにない危機的な状況に置かれていることを実感したご講演でした。
                                             以上


令和4年10月9日(日) 葛城奈海と行く高尾山ハイキング &ビアガーデン+バーベキュー

日 時:10月9日(日) 10時~15時
場 所:京王線「高尾山口駅」集合、高尾ビアマウントで現地解散
費 用:約5,000円(現地徴収)

「防人と歩む会」令和4年10月9日 高尾山ハイキング&ビアマウント 感想文抜粋

ハイキング

〇久しぶりに良い汗をかきました。非常に良いコースと時間配分で
した。
〇3年ぶりの山歩き、体力の衰えを考慮し、事前にトレーニングあ
るいはストックの整備をしておくべきであったと反省していますが、
皆さんに助けられて何とか登りきることができ、感謝しています。

〇心地良い疲労と達成感が得られました。

〇個人的にはもう少し過酷でも良かったと思いましたが、みんなで
ペースを合わせて山頂に辿り着いたから得られる達成感が格別なの
だと思いました。体力には自信がありましたが、子供たちには敵い
ませんでした(^^)


〇今回、とくによかったのは子どもさんが参加してくれたことだと思います。
〇参加した子供たちの行動や何気ないしぐさも可愛かったですし、小生が小物を入れようとした不安定な場所で「僕が押さえているよ」
と言ってくれました。これも親の振る舞いを学習している成果でしょうか、とても感動しました。


高尾ビアマウント
〇空腹は最大のソース。ビアマウントでは、何を食べても美味しかったです。ちょっと食べすぎたので、消化する為に、帰りも歩きました。
〇ビアマウントは予想を上回るクオリティで大満足です。屋内を予約しておいて下さったお陰で、寒さを感じることもなく有難かったです😊


令和4年9月3日(土)~5日(月) 葛城奈海&矢野一樹(元潜水艦隊司令官)と行く防人と歩む会研修旅行

研修日:9月3日(土)~5日(月)。研修旅行日程案は→ こちらをご参照ください。
開催地:長崎県長崎市及び佐世保市
研修先:軍艦島、大浦天主堂、出島、グラバー邸、針尾鉄塔、セイルタワー、水陸機動団、佐世保地方総監部等

研修旅行のご感想は こちら の「Googleフォーム」からお願い致します。

【令和4年 防人と歩む会 研修旅行写真】写真集中の感想はお寄せいただいた感想文より抜粋し掲載しました。

9月3日(土)


史跡研修
〇軍艦島には上陸できませんでしたが、船中のナビゲーターの方の知識と語り口が素晴らしく、長崎を
よく予習せずに参加した私に長崎のイロハを教えてくださり、デジタルミュージアムでも、ドローンに
乗ったかのようなVRで上陸気分を味わい、大満足な経験です。30年以上前に行ったことがある出島、
グラバー園は進化を遂げており、コンテンツが増えて見応えのある施設になっていました。針尾鉄塔は、
風雨に耐え、100年近くの間まだ使えそうな位に腐食もしない外観に、戦前の日本の技術の高さを見
せて頂きました。セイルタワーでは港を一望して、日米軍の配置や協力関係など力学も感じました。
〇〈軍艦島〉高度経済成長期に日本の復興を頑張ってくれた人々のお陰で今、何不自由なく暮らせるの
だと、軍艦島の暮らしを見て感謝する気持ちになりました。

9月4日(日)





西 成人佐世保地方総監(写真右)にご講話いただきました。


〈出島〉国を全面開放しなくても、国際交流もビジネスも可能だというヒントがあると思いました。

〈グラバー園〉昔も今も美味しいところ(居住地や資源)は外国人が持っていってしまうというところ
に複雑な気持ちを抱きました。

〈針尾無線塔〉100年後にも残るような鉄塔を製造できる技術を当時の海軍が持っていたことに驚きました。

9月5日(月)


水陸機動団広報から記念写真いただきました。ありがとうございます。




水陸機動団(相浦駐屯地)研修
〇AAV7に乗車させて頂いて感動でした。想像を超える訓練内容、それを耐え抜く気力体力がおあり
の隊員の方々と直接お会いできて光栄、かつ、AAVが日本でも開発中とうれしく拝聴しました。
〇AAV7の体験やお話、これだけで充分に「人生でも忘れられない体験」になりました。
〇実際に施設やAAV7、装備品、隊員を見て、心強いと感じましたし、自身の国防意識も高まりました。
〇AAV7搭乗もさることながら、隊員と接触できて有意義でした。
〇特にAAV7に試乗できたのはラッキーでしたし、隊員と同様の食事をいただけたのも良い経験でした。

佐世保地方総監部研修
〇地政学的脅威に加え、災害派遣などでもご多忙な様子、隊の装備を、数字を使いながら丁寧にご説明
くださり、ありがとうございました。地下壕でもA/Cまで備えた何キロにも及ぶ大規模地下施設でも
戦前の日本の技術の素晴らしさを実感しました。掃海艇やくしまにも乗船させて頂き、「10,000回
掃海しても10,001回目に爆発したら意味がない。忍耐力が勝負です」と仰っておられたのと、最後
には人間がマニュアルソナーを使って手作業で爆破作業されるとのこと、ロボットを使っても結局起爆
装置を0.1mという範囲に落とすという、針の穴に棒を通すようなことをされておられることが印象的
でした。自衛隊の方々の技術、気力に感嘆し、感謝の気持ちが一層強まりました。
〇大きな学びとなりました。掃海艇乗船という夢のような体験までできたことに感謝しております。
〇海上自衛隊の日々の取り組み内容が聞けて良かったです。「戦えば勝つ」という言葉が印象的でした。
〇掃海艇がどんなことをやっているか、とても丁寧に解説頂き、重要性と、いかに神経を使うかをリアル
に学ぶことができました。次の機会に、護衛艦も見学してみたいと思います。
〇防空指揮所は極めて有意義でした。
〇地下壕見学は、当時の様子が窺えてよかった。特に掃海艇乗船は良い経験でしたし、木造船であること
に驚きました。


令和4年8月27日(土) 8月講演会 火箱芳文氏

日 時:8月27日(土) 15:00~17:00
場 所:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 9 階 バンケットホール9C
    東京都新宿区市谷八幡町8番地
    アクセス
講 師:火箱 芳文氏(第32代陸上幕僚長 )
演 題:「戦略3文書の見直しに期待すること」
     ー元陸幕長としての観点から―
懇親会:近隣別会場にて懇親会を行います 。
    ◎参加費4000 円 但し高校生以下無料。
くわしくは→ こちらから

8月講演会アンケートフォーム
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●当会スタッフ講演会リポート

 8月は第32代陸上幕僚長としてご活躍された火箱芳文(ひばこよしふみ、71才)氏をお迎えし、
「戦略3文書の見直しに期待すること」(元陸幕長としての観点から)というテーマでご講演いただき
ました。〔略歴:福岡生まれ、71才。1974年防大(18期生)を卒業し、同年陸上自衛隊に入隊。
あまたの職歴を経験しさらに各種専門課程を修了、第10師団長(名古屋)、防衛大学校幹事(副校長、
横須賀)、中部方面総監(伊丹)を経て陸上幕幕僚長に上り詰める〕

 今回のテーマから離れますが、私達民間人にとっては2011年3月に起こった東日本大震災時の自
衛隊災害派遣の指揮をした陸幕長という印象が強いのではないでしょうか。その初動の凄みを後年「日
経ビジネス」などで詳細を知ることになります。この三陸沖を震源とする大地震が日本を襲い、死者約
16,000人、負傷者約6,000人、行方不明者約2,600人の及ぶ大惨事に発展したのです。
自衛隊は災害救助に10万人体制を展開し、19,000人を救助しました。これは救助された28,
000人の約70%に相当し、国民の自衛隊への信頼を確固たるものにしました。とくに現地において
は自衛隊救援部隊の到着の速さ、自衛隊員の過酷な救出活動とその誠実さに接することにより、住民は
絶望の淵で同胞に助けられたことでより深い絆で結ばれたかのようでした。

 地震発生当時、火箱陸幕長は防衛事務次官室で会議中だったとのことです。すぐさま会議を中断し、
エレベーターが止まってしまったので、11階から4階の自室迄急ぎ階段を駆け下りたとのことです。
災害に遭った人の生存確率が高いのは発生から72時間と言われています。「どこの部隊をどう動かせば
いいか…」階段を下りながら頭を巡らせていて、部屋に着くやすぐさま各部隊に出動を命じたそうです。
このことが発生から72時間で3万人近い部隊を集めることができ災害救助に効を奏しました。しかし
ながら、本来の命令権は陸幕長にはなく統幕長にあるとのことです。緊急時で都道府県知事の要請がな
い場合でも防衛大臣から統幕長への下令がルールなのですが、「3月の午後3時ですからすぐ暗くなり
ます。いったん隊員が帰宅してしまうと、再び召集には時間がかかる」のでルール違反ではあるが、腹
を決めて迅速に対応したとのことです。近年日本では過度にコンプライアンスが叫ばれ、責任逃れのた
めに盲従するリーダー層が日本社会の閉塞感を助長している感がありますが、この火箱陸幕長の勇気あ
る決断に制服組として生きてきた武人の『大和魂』を感じずにはいられませんでした。

 ウクライナ戦争は2月24日に始まったので現時点では6ヵ月経過しています。未だ停戦協議には至
っておらず長引くようにも思えます。火箱講師は現在の世界情勢を「40年の自衛隊生活で一番危機が
迫っている」と話され、戦略3文書の本題に入っていきました。

 戦略3文書とは我が国の防衛政策について、①『国家安全戦略(戦略)〈概ね10年程度の期間〉』と
して我が国の国益を長期的視点から見定めた外交・防衛政策を中心とした基本政策、②『防衛計画の大
綱(大綱)〈概ね10年程度の期間〉』として中期的見通しに立った国防の基本方針・防衛力の役割・
自衛隊の具体的体制の目標水準を示したもの、そして③『中期防衛力整備計画(中期防)〈概ね5年程
度の期間〉』として目標水準の達成に向けた経費の総額と主要装備整備数量の明示した3段階の構成に
なっています。『大綱』が日本国防衛の羅針盤的性格になります。そして政府は今年の年末までに、『
戦略』『大綱』『中期防』を改訂すると発表しています。アメリカからは日本の軍事費増額が要請され
ており、岸田首相はバイデン大統領に対して前向きに対応すると約束しています。また今年の防衛費の
予算要求の特徴は従来の「シーリング」方式から防衛省が必要な予算項目を提出する「事項要求」が認
められた点です。これは新型コロナウイルス対応の際に認められた方式で、建前上は防衛省の方で必要
額をはじき出して下さいというものです。

 2013年(安倍総理時代)の『新大綱』では安全保障領域が従来の陸・海・空からサイバー空間や
宇宙空間への拡がりから海上優勢・航空優勢の確保による事態にシームレス且つ状況に臨機に対応する
ために主要命題を「統合機動防衛力」の構築に方向転換を図りました。今回の『大綱』では安全保障領
域に「認知領域」が加わるそうです。この背景には、例えば孫氏を産んだ中国では「超限戦」が唱えら
れており、戦争は従来の軍事力だけでなく政治・経済・法律・世論操作を含んだ「全領域戦」と捉えて
います。つまり全ての体系の対抗の結果、戦争の勝敗はシステム機能の高低で決まると結論付けていま
「認知領域」を加えることにより、海外のフェイク情報の分析など新の領域の防衛力強化を目指します。
す。ただし、『大綱』で示す我が国の防衛方針は認識論的には理解できるものの、近隣諸国と戦力比較
するとあまりにも貧弱な実態が浮かび上がります。

〇サイバー部隊の人数比較(2021防衛白書)では次の通りです。
日本:自衛隊サイバー防衛隊    540人
中国:サイバー戦部隊   175,000人(うち攻撃専門部隊 30,000人)
北朝鮮:サイバー戦部隊    6,800人
また、日本の宇宙防衛隊は20人体制とのことで、極めて小規模です。
〇改めて、各国の軍事費のGDP比率と“国民1人当たり防衛費”を比較すると、日本は先進国の半分
にも満たないことが分かります。
アメリカ:GDPの3.29%(1人当たり22万円)イギリス:GDPの1.89%(1人当たり9万円)
フランス:GDPの2.00%(1人当たり10万円)ドイツ :GDPの1.35%(1人当たり8万円)
日本:GDPの0.9%(1人当たり4万円)オーストラリア:GDPの2.16%(1人当たり12万円)
韓国:GDPの2.61%(1人当たり12万円)
なお、2020年の総務省統計局の家計調査によれば、単身世帯の年間電気代は69,500円、年間
携帯電話通信料は61,500円だそうです。

 火箱講師は、「海上優勢・航空優勢はそのとおりであり、地政学的に日本の護りの核心は原子力潜水
艦による抑止力保持だろう。しかし、領土に住む住民を守る最後の砦である【陸軍】を軽視するのは問
題だ。ウクライナ戦争が現実を如実に示している。」と語りました。さらに過去の『大綱』では「大規
模な陸上兵力を動員した着上陸侵攻のような侵略事態への備えについては、徹底した効率化・合理化に
より、最小限の専門的知見や技術の維持・継承に必要な範囲に限り保持する。云々」という一文が添え
られており懸念されるとも言及しました。

 我が国の財務省の予算措置は「増やしたところがあればその分どこか削ってください」方式です。そ
れを省内外か局内外かでプラマイゼロになればいいのです。この根拠は財政法4条にあります。この規
定に忠実になるなら「国の歳出は税金のみ、建設国債以外の国債発行は禁止」であり「プライマリーバ
ランスの黒字化」要請になります。これは日本が占領下に押し付けられた憲法9条の「裏書」の意味合
いを持ちます。戦争の資金準備を阻止するための法律なのです。近代では国家が戦争をする場合、公債
を発行して資金準備をするのが一般的です。日本でも日露戦争の際日銀副総裁だった高橋是清が戦費調
達(当時1億円)のためにニューヨーク、ロンドンに奔走した話は有名です。ロンドンの投資家はロシ
ア優勢とみており、さらに日本人はシナ人と同気質と思っていて日本公債の人気は低かったそうですが、
日本は天皇をいただいた2,500年の歴史と伝統の特別な国であり最も道徳を重んじる国をアッピー
ル、終にはジェイコブ・シフというアメリカの銀行家を紹介されて見事戦費調達に成功したとの事であ
り、高橋是清の熱い想いが伝わってきて感動を覚える美談です。

 私たちの自立を妨げる仕掛けはまだいたるところに残っています。このことが徐々に国民の共通認識
になりつつあり、一つ一つ罠を取り外していかなければならないのでしょう。

 火箱講師は各国情勢を含めて多方面から日本が置かれている現状を分析して示されました。私達日本
人は戦後77年間自国の防衛をアメリカに委ねてきましたが、現在世界はアメリカ一極支配から多極化に
大きく転換する時期にあります。世界秩序が大きく動く時です。当面はアメリカと連携して日本の防衛
をしなくてはなりませんが「大国は冷酷であり、大国と結ぶ約束手形ほどアテにならない」というのも
真実です。火箱講師も政治家に対して日本の防衛力強化を積極的に働きかけていくと意気込みを語って
くれました。戦後日本人が学習したことは誰かスーパースターが現れて課題解決してくれることはない
という事であり、国民一人一人の意識と覚悟で国の歩むべき方向を定めなくてはならないのでしょう。
日本の国防費増額は願いではありますが、アメリカ製の武器を買わせられるだけでは自立への道に入っ
ていけません。武人の風格を携えた火箱講師の『大綱』や『白書』のお話しをお伺いして、今日本は真
の自立への分水嶺に立たせられている状況だと教えられたような思いです。ありがとうございました。
                                            以上


令和4年7月23日(土) 7月講演会 小川清史氏

日 時:7月23日(土) 15:00~17:00
場 所:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 3 階 C 会議室
    東京都新宿区市谷八幡町8番地
    アクセス
講 師:小川 清史氏(元 陸将 )
演 題:「民間防衛」
懇親会:近隣別会場にて懇親会を行います 。
    ◎参加費4000 円 但し高校生以下無料。
くわしくは→ こちらから

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●当会スタッフ講演会リポート

令和4年7月 講演会リポート(会場:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 3階C会議室)
 7月は自衛隊の指揮官として数々の災害派遣を通して多くの民間人を救出する実績をお持ちの小川清
史 元陸将をお迎えし、「民間防衛」というテーマでご講演いただきました。
〔略歴:徳島生まれ、62才。防大26期生・土木工学専攻。第13普通科連隊小隊長(日航機墜落の
災害派遣)、第36普通科連隊第1中隊長(阪神淡路大震災の災害派遣)、陸上自衛隊幹部学校長、西
部方面総監(熊本地震災害派遣)等歴任〕
日本では地震・津波、台風・大雨、火山爆発などは毎年発生しますので国民は自然災害には慣れている
と言えます。一方、有事(外国からの侵略や大規模テロ)に対しては、戦後の教育と元来性善説の国民
性のためか他人事のように思い込んできました。しかし、ウクライナでの戦争で私達の国では無縁と思
い込んでいた有事は日本においても決して他人事ではないと気づかされました。さらに日本政府の対ロ
シア外交は思いの外強硬路線で、日本にとって決してやってはいけない中露接近を自らが促してしまう
始末、今や地政学的には、台湾・日本領域における中国の脅威はウクライナより危険度を増した感があ
ります。このタイミングで「民間防衛」を学ぶことはとても有意義なことです。国民の意識向上と対策
・訓練の具体化・高度化は抑止力向上に直接寄与するものと思います。

 多くの国々に共通する民間防衛の考え方の基本は、「軍事防衛だけで国家の防衛を全うするのは不可
能」という点にあるとのことです。各国の地理的環境、国力、政治・社会体制や具体的な脅威によって
異なりますが、欧米諸国の危機管理体制は武力攻撃に対応する民間防衛(civil defense)という概念
を基本に自然災害等に対応する市民保護(civil protection)を包括する形で整備されています。
わが国における「有事法制」の研究が始まったのは、1976年(S51)9月に旧ソ連のミグ25が
函館空港に強行着陸するという事件が発生しとことによります。その後何回かの報告書が作られる中、
北朝鮮による弾道ミサイル発射事案や能登半島沖の武装不審船事案等の事態に適切に対応するため、2
004年(H16)に、日本が外国から武力攻撃を受けた時の政府による警報の発令、住民の避難誘導
・救援などの手順を定めた国民保護法が成立しました。結果、我が国では国民保護と防災とが危機管理
体制の二本柱になっています。法律の形式として国民保護法は災害対策基本法の枠組みを援用していま
すが、災害基本法が地方自治体の自主性を基本にしたボトムアップの法体系に対し、国民保護法は武力
攻撃災害の特性から国家が地方自治体に向けてトップダウンの法体系になっています。国民に課せられ
ている義務は「通報の義務」唯一となっています。しかしながら、警報や避難の機能は同じとは言え、
多くの場合一過性の自然災害と敵国からの攻撃では期間・質的にも異なるので、法律と現実がアンマッ
チにならない様に国民の意識向上や地域防衛の充実が要請されています。例えば日本の法制度は私権の
制限を極端に嫌いますが、そもそも私権を保護する国家が危機にある時に“私権の制限”云々を主張す
る意味がどこにあるのでしょうか?

 小川講師は1985年(S60)の日航機の御巣鷹山災害、1995年(H7)の阪神淡路大震災災
害、2016年(H28)の熊本地震災害での派遣体験を通して、危機・災害対応の国民意識の向上の
経緯を話されました。御巣鷹山災害では米軍の情報をもとに夜中中捜索したが場所が分からず朝方にや
っとたどり着けたこと。緊急出動はしたものの現地では新聞社がチャーターしたヘリコプターが自由に
離着陸するなど全体指揮は国なのか県なのか、全くわからない状況だったこと。阪神淡路大地震では兵
庫県知事による自衛隊への災害支援要請が遅すぎたことや伊丹空港の自衛隊機発着が認められなかった
ことが問題視されたこと。また被災地での隣近所の情報交換がいかに重要さも浮き彫りになったそうで
す。熊本地震では人口約60万人のうち約20万人が避難するという状況下では、避難所の設定や支援
物資の配り方が避難民の生存に直結するとも述べました。
 また、軍事の専門家としてウクライナ戦争をコメントされました。ロシアのサイバー戦はさほど有効
ではなかったのではないか。さらに戦車戦でもランチェスターの法則の場面が出現することを言及しま
した。一般には戦闘機の空中戦における乗数理論(1機VS2機⇒1機VS4機分能力)として知られ
ていますが、地上で左右両サイドを敵の戦車の前進許すと、前面と両サイドの3面を囲まれることにな
り乗数効果(1両VS3両⇒1両VS9両能力)が発揮されるとのことで、こういう場合は即時後退し
戦列を整えるのが鉄則とコメントされ、興味深かったです。

 今般のウクライナ戦争についてその善悪は別にして一個人として目を見張ったものは、地下シェルタ
ーの存在です。工場等の大規模施設には多くの人が籠城できる地下シェルターが完備しているのはもち
ろんですが、個人宅も同様であり圧巻でした。多くのウクライナ国民が救われたのではないでしょうか。
ウクライナの平均世帯年収はロシアのそれの1/3と言われています。旧ソ連時代の継承とはいえ、民
間防衛の世界基準を映像で生々しく見ることができました。日本の地下シェルター普及率は0.2%と
情けないのですが、それ以上に航空自衛隊の戦闘機も地下格納庫がないという事実に驚きを禁じ得ませ
ん。《政治家ははずかしくないのでしょうか。》

 今回小川講師の「民間防衛」のレクチャーを受け、国民保護法はあるものの機能させるにはさらなる
努力が必要とも感じました。少なくとも周知徹底する教育と地域防衛を支えるネットワークづくり不可
欠のように思います。教育は自治体に働きかけて訓練の実施が有効でのように思います。日本において
は一般の消防訓練の他、地震・津波避難訓練と有事(武力攻撃、大規模テロ)訓練の3セットが必要でし
ょう。あと日本では自衛隊員、警察官以外で武器の扱える軍事訓練を受けた人数が極端に少ないのがネ
ックと思われます。一定数の従業員を擁する地場産業や有力企業の従業員の1~3%を予備自衛官にす
るような運動を起こし地域の民間防衛のネットワークづくりも必要になってくるように感じました。
 スイスの民間防衛は有名ですが、それは国を失う事が自分たちの生命の安全はもちろん精神さえもズ
タズタになってしまうという共通認識が国民にあるからだと思います。ご体験を交えた小川講師のご講
演は日本を世界基準から客観視することができ、抑止力に効果的な手立てを一人ひとりが考えるための
気づきの多い内容でした。ありがとうございました。
                                            以上


令和4年6月25日(土) 6月講演会 田中英道氏

日 時:令和4年6月25日(土) 15:00~17:00
場 所:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 3 階 C 会議室
    東京都新宿区市谷八幡町8番地
    アクセス
講 師:田中 英道氏(文学博士 東北大学名誉教授 )
演 題:「日米戦争とは何であったか」
懇親会:近隣別会場にて懇親会を行います 。
    ◎参加費4500 円 但し高校生以下無料。
くわしくは→ こちらから

6月講演会アンケートフォーム

講演会アンケートフォーム
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●当会スタッフ講演会リポート

 2月24日のロシア軍のウクライナ侵攻から4か月が過ぎました。マリオポリの陥落でほぼ決着がつ
いたとの見方があります。ただ戦争終結になるかどうかは諸勢力の力学で決まるので長引くとの見方が
一般的です。こういうタイミングで6月講演会にはヨーロッパを深く知る田中英道先生(東京都ご出身、
80才)をお迎えし、「日米戦争は何であったか」という演題でご講演いただきました。先生は美術史
家、歴史家としてご高名な方で東北大学名誉教授でもあります。当会の顧問をしていただいています。

 先生は父親、祖父ともに海軍軍人というご家庭で育ったとのことです。東京大学ご卒業後、若くして
フランス政府給費留学生としてストラスブール大学に留学、その後イタリア政府給費留学生としてロー
マ大学に留学、さらにドイツ・ミュンヘン美術史研究所留学とわが国の西洋美術研究の第一人者と誰も
が認める方です。西洋の美術を中心に哲学思想に至るまで西洋に関する造詣が深くかつ立派な業績も上
げていますが、決して『西洋かぶれ』になっていない点、否西洋を越えている点が先生の最大の魅力で
す。日本のエリートが、欧米の学問、哲学思想そして経済や経営学を研究し魅了されるのは結構なので
すが、それを日本に紹介することで自尊心を満足させている方がほとんどの中で異彩を放っています。

 田中先生は西洋の神髄を極める一方、西洋における幾多の民族の興亡の歴史を通じて培われた知恵や
思想、同時に生き延びるための駆引きや虚構を内在する西洋世界の本質を見抜いています。西欧の石の
文化の美しさの裏側に、“常に殺されるのではないか”という人々の恐怖も含んでいると、その洞察力
は並みの学者ではありません。さらに、田中先生は日本独自時の自然、歴史、文化の重要性に着目し日
本国史学会を立ち上げています。日本精神や感性の原点を求めて、国内の遺跡史跡を丹念に巡っていま
す。例えば千葉県の柴山古墳で発掘されたミズラ髪で剣を付けた男性埴輪について、通説では「武人埴
輪」と言われていましたが、それを「ユダヤ人埴輪である」と断言するなど、左翼一色の日本歴史学会
に一石を投じています。

 田中先生は冒頭に「西洋とは何か」「彼らは何を考えているのだろう」「ゼレンスキー大統領だって
ユダヤ人なんです」と続け、先の戦争でGHQにより焚書になった一冊の本を紹介しました。それは復
刻版で『ユダヤ禍の世界 筈見一郎著1940年発刊』という本です。併せて、7769点の本が人知
れず焚書になったことも言及しました。さらに「この本を読むと、当時の日本の知識階層は世界のこと
や世界を動かしている勢力のことをかなり細かく知っていたことが分かる。今とは比べ物にならない。
なぜ焚書にしたのか?私たちの記憶から消し去るためなのだろうか」と言葉をつづけました。

 ユダヤの歴史をざっと見ておくと、紀元前12世紀のモーセのエジプト脱出あたりからの歴史に登場
します。ダビデ・ソロモン王時代の栄華を頂点に、紀元前722 年に北イスラエル王国(十支族)が
アッシリアに、紀元前586年には南ユダ王国がバビロニアに滅ぼされます。その後ローマ帝国・ネロ
帝(5代、70年頃)に第2神殿を破壊された第一次ユダヤ戦争(マサダの籠城で有名)、ハドリアヌ
ス帝(14代、135年)により第二次ユダヤ戦争に敗れ、ユダヤ人のイスラエル入国禁止になり、各
国に離散(ディアスポラ)します。ユダヤ人は言語・宗教儀式・教育と独自の文化を貫きますので各民
族と馴染めません。ヨーロッパ社会の封建社会から外れているので土地所有は認められず農業はできず
に様々な迫害に会います。当時忌み嫌われていた金貸し業、とりわけ王侯貴族の金庫番や専属医者・顧
問等になり財を成す者も現れてきました。ヨーロッパでは各国がユダヤ人追放令でユダヤ人が押出され
流れこんだ国が繁栄する歴史になります。イギリス→ポルトガル・スペイン→オランダ→イギリス・ド
イツとなり、日本においても鉄砲伝来→フランシスコ・ザビエルによる宣教→出島貿易→クーン・ロー
ブ商会(グラバー)とその流れに符合します。ワーテルローの戦いの1815年当時、銀行業、鉄道・郵
便・水道事業と戦争ビジネスへ投資していたロスチャイルド家の資産はヨーロッパの1/2と言われる
までになっています。

 ユダヤ人のアメリカ移民の第一波は17世紀にスペインを追われたスファラディ中心で、ニューヨー
クを建設しました。19世紀に第二波があり、主にドイツ統一の影響を受けた独系アシュケナージが流
れ込み、19世紀後半に第三派としてロシアの大迫害(ポグロム)の影響を受けた東欧系(ロシア・ウ
クライナ含む)アシュケナージと続きます。ユダヤ人の人口は少ないですが優秀な方が多くいます。と
くに金融はもちろんアカデミズム・医者・法曹界と社会のかじ取り部門を抑えています。田中先生も海
外留学時の指導教官は全てユダヤ人で優秀かつ面倒見も良かったと述懐していました。

 ユダヤの歴史を背景に現在のウクライナ戦争を見ると、主要登場人物の特徴が浮かび上がります。ア
メリカ・バイデン大統領を政府内で動かしているアントニー・ブリンケン国務長官、ビクトリア・ヌー
ランド国務次官とも先祖はウクライナ系ユダヤ人です。そしてウクライナ側のゼレンスキー大統領もユ
ダヤ系だしゼレンスキーのスポンサーと言われている大財閥のコロモイスキーはウクライナに加えてイ
スラエルとキプロスの三重国籍者です。すると、この戦争にユダヤ(=ネオコン)が深く関わっている
構図が浮かび上がってきます。そして4月25日にアメリカのロイド・オースティン国防長官は訪問先
のポーランドでの記者会見で「戦争目的はロシアの弱体化することを望む」と発言しました。全体像を
俯瞰すると、この戦争はウクライナで行われている米ロ戦争とも見て取れます。そうならば、ロシアは
日米戦争に引きずり込まれた日本と重なるし、ウクライナは1939年にドイツ系住民が多くいたダン
ツィヒ割譲とポーランド回廊建設を求めるドイツの要求を英国に嗾けられて頑なに拒んだポーランドと
ダブって見えてきます。ポーランドはその後ソ連の侵攻をうけドイツとソ連に分割されてしまいました。

 演題の日米戦争は本当に何であったのでしょうか。日本は戦争をしたくありませんでした。挙句の果
てに日本は東京大空襲、広島・長崎への原爆投下というアメリカによる民間人35万人の大虐殺によっ
て戦争を終えることになりました。GHQの占領政策は徹底していました。武装解除と米軍駐留、財閥
解体と農地解放、非工業化、そして21万人に及ぶ指導者層の公職追放と教育が奪われ、宗教文化まで
変質させられました。言論統制とマスコミコントロールと社会のすべてを網羅しました。新憲法もGH
Qのケーディス(ユダヤ系)等が中心になり市民革命の第一段階として軍隊が持てないように作られま
した。

 しかし、田中先生は、日本は負けていないと主張します。日本による原爆実験は1941年8月12
日に江南(現在の北朝鮮)で成功したのだが、翌8月13日にソ連に略奪されたとのことです。そこで
8月15日の終戦にしたのだとも述べました。負けてないから戦後も国体は守られているし、マッカー
サーが本気で日本をキリスト教国にしようとしたが、現在でもクリスチャンは1%もいないではないか
と言及します。「支配」に異常な執念を燃やす西洋の価値観に対し、かつて「人種差別撤廃」を提案し
た平等な役割社会に価値を置く日本文化が彼らにとってある意味で脅威だったのかも知れません。日本
人がどこを向いても日本の良さ考えさせなくする環境にしたかったのでしょう。残念ながら日本社会の
エリート・上層部はGHQの政策にハマり抜け切れていません。ただし庶民は大和魂のDNAが息づい
ているというのです。大木で言うなら枝が折れ葉っぱが半分程度落ちているが、根っこはしっかりして
いて再生可能というところでしょうか。田中先生は私たちが日本の歴史・伝統・文化を強く意識するこ
とによって、必ず日本を取り戻すことができるとの強いメッセージを残し、ご講演を締めました。

 日米戦争を見るためにはアメリカの内情の知識が必要です。アメリカは言ってることとやってること
が全く異なり、それに対し全く罪悪感を持たない国民性です。さらに自分に都合が悪い相手は適当な理
由をつけて容赦なく抹殺します。一方、国内政治力学的には19世紀までのアメリカはWASPが主流
だったのですが20世紀は莫大な資金力を背景とするユダヤ国際主義者の勢力が上回ってきたという潮
流があります。その典型的なのはウィッドロー・ウィルソンを学者から(第28代)大統領に押し上げ
たスポンサーはユダヤ系大富豪のバーナード・バルークに他なりません。影の大統領と呼ばれた大物で
す。彼はチャーチルの友人でもあり、彼らの戦争準備には対ヒトラーのみならず、対日戦争も含まれて
いたのです。

 その時点で日本はロックオンされていたという事になります。またアメリカの対日政策を見る場合、
第26代大統領のセオドア・ルーズベルトに見いだされたヘンリー・スティムソンが重要になるとのこ
とです。彼は第32代大統領のフランクリン・ルーズベルトの時代まで20世紀の前半の半世紀をアメ
リカ政治の中枢にいました。彼はフィリピン総督を務めた経験もあり、肌感覚で日本の脅威を感じ取っ
ていたのでしょう。彼は満州事変や満州国建国に対し「不承認主義」を唱え日本を苦しめ続けました。
F.ルーズベルトの「日本挑発作戦」(日本にアメリカ攻撃の第一撃を打たせる作戦)の当事者でもあ
り、原子爆弾計画の主要人物でもありました。日米戦争の終盤に原爆投下候補地の第一が「京都」だっ
たのですが、スティムソンが反対して広島と長崎になったと言われています。彼は国際世論と終戦後の
日本統治を考えての合理的判断と思いますが、日本の一部の人は「スティムソンが京都を救った」など
という者もおり、唖然としてしまいます。

 田中先生は歴史家として日本文明の確固たる潮流を訴えました。日本愛のエールのように感じました。
歴史は川の流れのごとく必然と偶然が絡み合い流れを決めていきます。2000年以上の歴史を持つわが国
がまっとうな流れに戻れるよう日本精神の探求と日本国民のまとまりの必要性を強く感じたご講演でし
た。
                                            以上


令和4年5月21日(土) 5月講演会 河野克俊氏

日 時:令和4年5月21日(土) 15:00~17:00
場 所:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター 3 階 C 会議室
    東京都新宿区市谷八幡町8番地
    アクセス
講 師:河野 克俊氏(前 統合幕僚長・元海将)
演 題:「ウクライナ戦争と日本の安全保障」
懇親会:近隣別会場にて懇親会を行います 。
    ◎参加費4500 円 但し高校生以下無料。
くわしくは→ こちらから


●当会スタッフ講演会リポート

 5月は第五代統合幕僚長の河野克俊元海将をお迎えして「ウクライナ戦争と日本の安全保障」という
演題でご講演いただきました。河野講師はこのウクライナ戦争勃発でスケジュールがよりタイトになら
れた模様で、本日も靖国神社でのご講演からこちらの会場に直行いただいてのご講演との事です。私ど
も「防人と歩む会」には2019年10月にご講演いただいておりますので、今回は2度目のご講演になり
ます。
〔略歴:1953年函館生まれ、1977年防大機械工学科卒業し海上自衛隊入隊、護衛艦長等要職を経験さ
れ、2012年に海上幕僚長そして2014年に第五代統合幕僚長に就任。在任は異例の4年半の長さ。2019
年4月退官。(統幕長任期中は安倍総理時代)〕

 葛城会長から「制服組のトップになられた河野前統幕長はなんと防大に補欠入学だったそうです」と
の親しみあるご紹介の言葉を受けて、河野講師はその防大入学のエピソードを披露してくれました。氏
によれば、防衛大学校が4月1日に入校者を集めたところ不足が判明したため、その日の夜に「4日着校
を命ずる」と河野宅に電報があったとのことです。大喜びではせ参じると今度は身体検査で「タンパク」
を指摘され落とされそうになり歓喜は一瞬に暗転、「身体に関しては一切自己責任」という一筆をとら
れてどうにか入隊云々、とドラマの早送りのごとく当時の思い出を語ってくれました。

ウクライナ戦争については、当初のロシア軍の動きが尋常ではなく特に指揮系統に奇異を感じるとの軍
事の専門家としての見解を示しました。つまり、ロシアは当初東部ドンバス地方2か所とキエフとの3
箇所に軍を展開しました。ところが各部隊はバラバラに行動していて、統括司令部を置いていないこと
が分かります。長い(数メートルの)テーブルの両端でロシア軍指揮官2名が核使用についてプーチン
大統領から指示を受けている奇妙な映像も流れました。1ヵ月半たってからアレクサンドル・ドヴォル
ニコフが総司令官に任命されており、今回の戦争はロシアの参謀本部が練りに練った戦略・戦術ではな
かったと推測されるとの事です。するとこの作戦はFSB(ロシア連邦保安庁、KGBの後身組織)主
体で立案されたのではないかとも考えられるとのことです。なぜかと言えば、共産党(系)の軍隊は民主
主義国の軍隊とは違うそうで、為政者は軍隊のクーデターを常に警戒しているとのことです。軍隊を見
張る任務を情報機関に委ねることが間間あるそうです。ロシア軍はハリコフで川を渡る作戦において約
1,000名の兵隊を失ったとのことであり、同じ過ちを9回も繰り返したとも伝えられています。前線指
揮官の能力にも問題がありますが作戦を変えられない監視状態であったとも考えられるという見解であ
り、ロシア軍内部を見てるかのような分析でとても説得力がありました。

河野講師は1984年刊行のベストセラー「失敗の本質(日本軍の組織論的研究)」という書物を引用されウ
クライナ戦争の分析を展開します。要約すると ①目的が不明確 ②兵力の逐次投入 ③根拠なき楽観
主義だそうです。クリミヤやウクライナはエカチェリーナ2世(ロシア皇帝)治世の18世紀にオスマン
トルコとの2度にわたる露土戦争で勝利して併合した歴史を持ち、プーチン大統領は2021年に「ウクラ
イナはロシアと同民族」という論文を発表しました。同じ民族なのでNATO加入などとんでもいない、
非軍事化・中立化は当然という論理(かつ信念)に帰結します。しかしこれはロシアの若い兵隊にも共
有できる目標になるのか甚だ疑問です。実際ウクライナ人はロシア兵を解放軍とは見てくれませんでし
た。一方、兵力をみるとロシア軍は十数万の陣容です。陸戦では攻める側が制圧するには守る側の3倍
は必要というのが定石との事です。侵攻開始から3か月でロシア兵の死亡者数は25,000人と言われてい
ます。アフガン戦争でも累計死者数は10,000未満だそうです。目的そのもの、戦力投入、それに「早期
陥落」という楽観論などロシアの戦略戦術のすべてにズレがあったとの見立てを述べました。

さらにこの戦争がもたらすものとして、戦略的には2つの常識を覆したと指摘しました。一つは「NP
T体制の崩壊」であり、もう一つは「世界が、核戦争を恐れて軍事介入をしないアメリカを見てしまっ
た」という事を挙げました。つまりスーパーパワー・アメリカを中心とする世界秩序の崩壊に他なりま
せん。

NPT体制は核兵器保有国の増加を防ぐことを目的としていますが、当然核保有5大国が立派で分別が
ある大人であるという前提で組み立てられています。(尤も、ジャイアンのアメリカだけは特別扱い) 
しかし、今回ロシアはウクライナに核使用を匂わせました。逆からいうと、北朝鮮に核を持つ正当性を
与えたことになります。統幕長だった2017年にアメリカと北朝鮮との緊張状態がピークになったと言及
し、戦争確率は6割7分と感じる毎日だった述懐していたのが印象に残りました。

アメリカは先の世界大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争から中東全般さらにバルカン半島と休むことなく
戦争に明け暮れる覇権大国として世界に君臨してきました。そのアメリカがウクライナ戦争において 
「ロシアと核戦争になるので軍事介入しない」と言い切ってしまったのです。アメリカ中心に組み立て
られていた平和の太柱の強度が一斉に疑念視され出します。いよいよ世界は新秩序に向けて有力国中心
に有利なポジションを取るための動乱期に突入していくのでしょう。

日本の状況を言うと、戦後は戦争をしない国として経済発展に傾注し、世界には経済援助で貢献すると
いう姿勢を貫いできました。1980年8月に勃発した湾岸戦争において当時の海部政権が多国籍軍に130
億ドル(1兆7千億円)の資金援助をしたにもかかわらず、兵を出さなかったことでアメリカや多国籍軍参
加国からも評価されず戦争終結後のクェートが戦争終了後に出したワシントンポスト紙の感謝広告に日
本名がないという屈辱を味わいました。これらの経験から、1991年4月に自衛隊の実任務として初めて
掃海部隊の自衛隊ペルシャ湾派遣を行なうことになりました。世界情勢の激変を背景に1991年は自衛隊
の海外派遣がオペレーションの時代に入った転機の年になります。その後オペレーションの積み重ねる
ことで世論調査において自衛隊への信頼度93%を獲得するに至ったことを強調されまた。加えて、この
数字は決して東日本大震災での自衛隊の活躍のみで達成されたわけではないことも付言されました。

世界の政治力学の変化と地政学から現在の日本を見ると、正に西側陣営の最前線にいることが明白です。
中国、北朝鮮、ロシアは核保有国であり、戦場が第一列島線内つまり日本国内で起こることを意味して
います。最大の脅威である中国共産党の海洋側・核心的利益は香港、台湾、尖閣という順であり、確実
に歩を進めています。「中共にやらないという選択肢はない。やらせないようにどうするかが日米の鍵
である」と述べ、日本は核兵器については「シェアリングであっても使用の意思決定に関与できる」こ
とが重要だと強調しました。核弾頭搭載可能な中距離ミサイルを保有することが抑止力に最も有効であ
るとの見解を語りご講演を締めました。

河野前統幕長は軍事の頂点を極めた方であると同時に、各国軍人や各界著名人との幅広い親交のせいで
しょうかいろいろな角度から明るい口調で持論を展開いただきました。戦略や戦況分析に独特の鋭さを
お持ちで、国防への熱い思いが会場の隅々まで伝わったように感じました。地政学的には日本の危険度
は現在のウクライナより大きいことを学ばせていただいたご講演でした。
                                            以上


令和4年5月14日(土) 旧海軍墓地参拝 防人と歩む会・広島

日 時:令和4年5月14日(土)午前11時~午後12時半 現地集合
場 所:旧呉海軍墓地 長迫公園

令和4年5月18日 理事 寺岡 節(文責 事務局 浜田隆文)



最後の写真は入船山記念館の【旧呉鎮守府司令長官官舎】で国重要文化財です。内壁の【金唐神】がうつくしいのです。

いつもお世話になっております。
さて、防人と歩む会の広島会員においては、令和4年5月14日(土)に下記の方々10名で呉市にあ
る海軍墓地(現長迫公園)の清掃、参拝、「君が代」「海ゆかば」斉唱を行いました。その後、昼食
(海軍カレー)をはさみ、入船山記念館の見学を行いました。以下、その様子をご報告いたします。

1.海軍墓地に現地集合(午前11時~午後12時半)
  約1時間、清掃を行った後に、「大東亜戦争戦没者の碑」前にて参拝を行いました。
  この墓地は1890年(明治23)に、海軍軍人などの埋葬地として開設。日清戦争、日露戦争、
  大東亜戦争などにおける海軍軍人の慰霊碑(戦艦大和戦死者之碑、空母飛鷹慰霊碑など)が数多く
  設置されています。また、この墓地は、「長迫墓地顕彰保存会」によって維持・管理されておりま
  す。
  毎年9月23日の秋分の日には、県知事・呉市長等が参列され、慰霊祭が実施されます。
  慰霊祭には、地元の小学生も参加して、戦死者への追悼の言葉を述べています。
  私たちは参拝後、ここの事務所をお借りして、参加者の自己紹介や海軍に関する意見交換を行いま
  した。

2.入船山記念館の見学(午後2時~同3時半)
  この記念館には、旧呉鎮守府司令長官官舎を明治38年の建築当時の姿に復元したものや、東郷平
  八郎が呉鎮守府参謀長として呉に在任中(明治23年~同24年)に住んだ家の離れ屋敷などがあ
  り、旧帝国海軍のありし日の姿を彷彿とさせる記念館で、有意義な研修となりました。

  

令和4年4月23日(土) 4月講演会 矢野一樹氏

日 時:令和4年4月23日(土) 15:00~17:00
場 所:ホテル グランドアーク半蔵門
     東京都千代田区隼町1番1号
     アクセス
講 師:矢野 一樹 氏(元 潜水艦隊司令官(海将) )
演 題:「日本の核戦略」
懇親会:ホテル内別会場にて懇親会を行います。
    ◎参加費 5000 円 但し高校生以下無料。
くわしくは→ こちらから



●当会スタッフ講演会リポート

 4月は本日から「防人と歩む会」理事長に就任された矢野一樹氏(元 潜水艦隊司令官(海将)、今治
出身 66才)に「日本の核戦略」という演題でご講演いただきました。矢野講師は昨年7月の「潜水艦
と日本の防衛」という演題でご講演していただいており、今回2回目で理事長就任記念講演になります。

 本論の前に現在のウクライナでの海上戦闘についてのコメントがありました。ロシア海軍の旗艦であ
る「モスクワ」がネプチューンで被弾したのも衝撃的ですが、ロシアは①今年の1月には北海・バルト
海から揚陸艦6隻を黒海に運び計13隻体制にしておいたこと、②2月にはオデッサ沖を封鎖、 ③3月
にはオデッサ沖で浮遊機雷が確認されていることなど、着々と準備していたことを知りました。これに
対しウクライナ海軍は潜水艦が一隻もなく唯一のフリゲート艦を自沈させざる得なかったと聞いて衝撃
を受けました。自沈するフリゲート艦の画像と「海軍には海軍で対応する以外に方法はないのです。」
との矢野海将の言葉とで『戦闘』という厳しい現実を目の当たりにしたかのようでした。

 本論では核保有の超大国のロシア、アメリカ、続く中国及び北朝鮮の各国核戦略と保有核種類の特徴
についてかなり専門的なレクチャーでした。核小型化やロケット・原子力潜水艦開発の進歩に伴って核
戦略と運搬手段が変化していることが分かりました。アメリカを中心に核戦略運搬手段の基本は、航空
優勢として①無人機航空機 ②長距離航空機 ③ステルス航空機 水中優勢として④水中戦 ⑤総合エ
ンジニアリングという戦略になっているそうです。

 日本については、「アメリカの核の傘」に依存しつつ「非核三原則」堅持という論理的にも現実的に
も矛盾の中に身を置いていること。日本は潜水艦やミサイル、原子力の技術を持ちながら国防について
惰眠をむさぼってきたことに厳しい指摘がありました。《我が国の政治家は「専守防衛・最低限の軍備」
という発言をよくしますが、国民としては「この国は何人殺されてから反撃をするのだろうか?その時
は既に終わっているのでは…」と不安が募ります》

 また、潜水艦の隠密性と長期滞在性という利点から、戦略の有効性について言及がありました。前回
のご講演で、海中は電波が届かないこと、潜水艦運用は動力の電池が生命線でその残量によって作戦行
動の組み立てが変わってくることなどをレクチャーいただいていましたので説得力がありました。
また、フォークランド紛争の時、水上艦部隊に先駆けて攻撃型原子力潜水艦が出動したことで、アルゼ
ンチンの艦船は港に封じ込めになったとのことです。改めて、潜水艦の機動力優位性の知識を得ました。
もちろん、動力に限界のない原子力潜水艦は別物で戦略・戦術的に圧倒的に優位とのことです。

 現在、米・英・豪のオーカス(AUKUS)についても言及されました。3ヵ国による原子力潜水艦の
軍事同盟です。中国の海洋進出に対し米同盟側最終防衛ライン兼反撃拠点を意味するアングロサクソン
同盟になります。TPPやクワッドは各国の思惑もあり中国の軍事進出を直接抑止するのは難しくなっ
てきており、このオーカスは現在の日本のためにあるような同盟であり、参加は日本の防衛力を飛躍的
に上がると言えるのではないでしょうか。矢野講師は日本の法整備の問題もあるものの、解釈で越えら
れるものもあり日本の防衛力整備を急ぐ必要性を訴えて講演を結びました。

 かつて、ケネディ米大統領がドゴール仏大統領に”アメリカの核の傘”に入るように説得した際、ド
ゴールは「パリに原爆が落とされたら、ニューヨークが核攻撃で破壊されると分かっていても敵国に原
爆を落とすと約束ができるのか?」と問い詰めて、"核の傘"なる虚妄を一蹴したそうです。軍人出身の
ドゴールはリアリズムの中で生きてきたので、ディズニーのおとぎ話のような"核の傘"の欺瞞を即座に
見抜いたのでしょう。傑出した政治家の一人でした。多分、戦後の日本人は考えることを止めて信仰の
ように"核の傘"にすがってきたのかも知れません。しかし、直近のアフガニスタンやウクライナを目の
当たりにすることで世界の現実を知るに至りました。現在日本の最大の脅威は中国です。日本は是非と
も国産の原子力潜水艦を持ち、日本の周辺と太平洋を守れる態勢づくりを急いでほしいです。フランス
とは立場は異なれど、ドゴールが祖国を愛したように日本の政治家こそ刺違える気迫をもってアメリカ
との折衝をお願いしたいです。私達国民も自立への覚悟を示さなければいけない局面にいることを認識
させられたご講演でした。
                                            以上


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