平成29年度  平成28年度  平成27年度以前

平成29年度活動記録

平成30年3月24日(土) 3月フォーラム 荒谷卓氏

平成30年2月24日(土) 2月フォーラム 八木景子監督

平成30年1月20日(土) 1月フォーラム 荒谷卓氏

平成30年1月13日(土) 陸上自衛隊習志野駐屯地 第一空挺団降下始め

平成29年12月23日(土) 12月フォーラム 兒玉恭幸先生、奥本康大先生

平成29年11月25日(土) 11月フォーラム 馬渕睦夫先生

平成29年10月28日(土) 10月フォーラム 河添恵子先生

平成29年10月11日(火)〜呉・江田島研修旅行

平成29年9月23日(土) 9月フォーラム 田村秀男氏

平成29年8月19日(土) 8月フォーラム トリトン海野氏

平成29年7月22日(土) 7月フォーラム 荒平一也氏、清水雅彦氏

平成29年6月24日(土) 陸上自衛隊広報センターりっくんランド見学

平成29年5月27日(土) 5月フォーラム 林 直人氏

平成29年4月 1日(土) 4月フォーラム 織田邦男氏


平成30年3月24日(土)3月フォーラム 荒谷卓氏

講師 荒谷卓先生 「国体と自衛隊2」
荒谷   集合写真

 今回感想を書くことになった経過として、会長である葛城さんの余りにも美しい笑顔で「女
性の感想欲しいのですがお願いできますか?」と言われ思わず「はい」と答えてしまいまし
た。
学生時代感想文を書くのが苦手だったわたしは数日間、講師である荒谷館長のお話をボイス
レコーダーで何回も聴き直し感想文を考えました。聴けば聴くほど、全てをテープ起こしし
て、この感想に載せたいくらい「日本国家」について古事記から紐解き魂に響く真のお話をし
て下さいました。

 「現代の侍」荒谷館長のお話が聞きたくて「防人と歩む会」とは何か?どんな活動してるの
かも知らずに参加したのですが、今は申し訳ない気持ちでいっぱいです。流石!葛城会長率い
る会だけあり、皆さまとても明るくて、世の中にある団体はともすると自分たちのやってる正
義は正しくて他を批判するようなところが多いのですが(政治団体も)、防人と歩む会に携わ
っている皆様の感じは明るくてとても良かったです。
 これから共存・共栄・調和して行かなければならない時代です。歪みあっていては何も生ま
れないです。本来の日本人は和合の精神の持ち主。

 荒谷館長の話の中に「今私たちが何をするかで未来は決まってきます。何もしなければつま
らない未来になる。これまで一生懸命、神様と祖先の皆様が努力したその成果を私たちが全て
消費してしまえば未来はなくなる」。わたしもそう思っておりました。
 未来の子供たちのために今わたしは何が出来るか。命を捧げて守って下さった御霊に託され
た国家をどう繋いでいくか・・・。慈愛に満ちた大和国(大きく和する国)復活させていきた
いですね。

 今回は貴重な機会をありがとうございました。これからも学ばして下さい。

一般社団法人 世界美生アカデミー代表理事 庄子みどり
庄子みどり様


平成30年2月24日(土)2月フォーラム 八木景子監督

講師 八木景子監督 「ビハインド・ザ・コーブ」
八木監督 トークショー 

 今まで「クジラ」「捕鯨」ということについて、私がどれだけ無知だったのかということを
改めて思い知らされました。縄文時代にはすでに鯨の骨を使ったすり鉢のようなものが使われ
ていたり、和歌に詠まれていたり、絵として残されていたり。こんなにも、日本にとって日本
人にとって身近な存在であり、大切にされていたものだとは思いにもよりませんでした。
また、日本の捕鯨に関するニュースや、シーシェパードについての報道が海外では誤った一
方的なものであったということについても初めて知りました。そして、驚き、大きな憤りを感
じました。八木監督は映画の中でも、お話の中でも「こちらが黙っているからこのような状況
に陥っているのだ。声をあげなければならない」ということを必死に訴えておられました。日
本人は「黙っている」といことに美徳を感じるものですが、世界を相手にするにはやはりそれ
だけではだめなんだということに改めて気付きました。 
そして、一番驚きぞっとしたのは「捕鯨」は歴史的な事象に大変深く繋がっているというこ
とてです。ペリー来航やベトナム戦争など、深い場所で全てが繋がっていたと取材中知った時
八木監督は本当に驚いたと仰っていましたが、聞いた私も鳥肌が立ちました。
本当に中身の濃い内容でした。

 捕鯨について、まっすぐに向き合い取材にあたる八木監督の姿は、まるで武士のように思え
ました。
ある時は勇ましく突き進み、ある時は相手の話に身も心も寄せていく優しさ両方をお持ちのよ
うに感じました。「捕鯨」について、反対でも賛成でもない、中立の立場を常に意識された取
材や表現方法が本当に素晴らしいなと感じました。とっても、シンプルだけど深い作品でし
た。

 熱くて男気溢れる女性監督の八木さんの魅力に触れられて、とってもステキな会でした。も
っともっとお話を伺いたいと思いました。女性としても表現者としても本当に尊敬します!ス
ルメのように噛めば噛むほど味の出る作品だと思うので、私も何回も観てみようと思います。

 素晴らしい企画を本当にありがとうございました。

渡邉 育美
渡邉 育美様


平成30年1月20日(土)1月フォーラム 荒谷卓氏

講師 荒谷卓先生 「国体と自衛隊」
新谷先生・葛城

 自衛隊の特殊部隊の創設者である荒谷卓先生が国家の起源に遡り、国体と自衛隊の本質を紐
解いて下さる内容に大変感動を受けました 。愛国精神と国防精神の源流を辿っていくと神道の
精神に辿り着くこ とを深く実感致します。

 また、とても心響いたお言葉の一つが【騎士道は雇い主がなくなったら消滅する。しかし、
日本の武士道は雇い主ではなく、一個人が極めていく世界 、自立した体制は存続する】とのお
話でした。この言葉にあるように、武士道を極められた荒谷先生のご講演は、信念に満ち溢
れ、立ち姿にまで、その生き方、在り方がまざまざと現れており、武士道精神を極められた先
生のお話には力強さと説得力がありました。

 また、自衛隊の組織の中で「和」を体現する為には「お互いの命を 預けあって生きていく自
覚を持つことが大切」と伺いました。「和」とは言葉では何となく分かりますが、荒谷先生の
ように現場 で命をお互いに預け合い、身で体験された「和」 の真の意味には深く突き刺さる
ものがあります。

 同時に、私は以前所属しておりました宝塚歌劇時代の事を思い出しました。組織やチームの
「和」を実現することは、荒谷先生のおっしゃるよ うな覚悟、愛が前提にあることなのだと腑
に落ちたのです。宝塚もチームの「和」を実現する為に一人の失敗は皆の失敗( 同期の連帯責
任)と言う決まりがあり、チームで作り上げていくと 言う覚悟を持つことを大切にしておりま
した。「一人の失敗はみんなの失敗」という「連帯責任」の意識のお蔭で 、皆で助け合い、支
え合いながら舞台に上がるまでの、厳しい訓練を 共に切磋琢磨し、乗り越えていきます。結
果、全員が目的達成の為には、 一人一人が不可欠だと認識します。そして、 全体で一つの作
品を作り上げるプロ意識が育ち、最終的に「和」・ 「絆」を生み出します。

 私は宝塚を退団して以降、数多くの企業さまの現場を見させていた だきました。そこから感
じたことは、企業の規模を問わず、現場での情報伝達が機能しておらず、ゆえに 責任の意識も
十分に育たず、安全や品質が脅かされているという現 実でした。情報伝達の不足は、結果とし
て無関心と無責任を育ててしまい、組織を内側から蝕んで ゆきます。今の時代にこそ、源流に
立ち返り、荒谷先生のおっしゃるような「 和」のチーム作りが大切なのだと実感しておりま
す。

 また私は、三年前から美し国・代表、菅家一比古先生から神道を学 んでおります。日本国の
素晴らしさ、日本の世界的使命を知り、 その御縁もあり「防人と歩む会」の葛城 奈海会長と
出逢う事ができました。日本の女性の先頭に立ち、常にきらきらした笑顔で、凛々しく颯爽と
日本国の為に、ご活躍されていらっしゃるお姿に私も同じ女性として尊敬の念を抱 いていお
り、なでしこのオピニオンリーダーとしてまさに「日本の リーダーシップとは模範を示せる
人、皆の気持ちを理解する器が大 切である」というのを体現されておられる方で、荒谷先生の
お話に通じるものを感じ、より一層神道の精神を極めた いと痛感いたしました。

 最後に荒谷先生のご講演をお聞きし、自分自身に誓ったことがあります。それは、荒谷先生
のお言葉にありました「古事記に著れている【成 る】とはどう言う意味か? それは、一つは
その職に相応しい人間になること。その職に相応しいエネルギーに転換出来る事を指してい
る」との ことから、私自身もこれからの人生、日本国の事を学び続けながら、 自分の職に相
応しい「あるべき姿」を努力しながら、 追究していきたいと強く邁進してまいります。

 この度は、誠に素晴らしいご講演をありがとうございました。自衛隊の皆様は、日本の誇り
です。皆様のおかげで我々日本国民は 美しい日本に立っていられます。私も日本のために、日
本人特有の継承の心を明日からの活動につな げていきます。

堀内明日香
堀内明日香様


平成30年1月13日(土)陸上自衛隊習志野駐屯地 第一空挺団降下始め

平成30年陸上自衛隊習志野駐屯地第一空挺団降下初め予行演習見学について
空挺団

 この度、習志野演習場における「平成30年第一空挺団降下訓練初め」予行演習見学に夫婦で
参加いたしました。
 私も例にもれず日教祖の教育を受け、マスコミを信じNHKのドキュメンタリーを真実だと思
い込んでいた人間でした。
 ふとしたことから疑問を持ち始め、旧軍の歴史資料館を巡り、本を読み、大東亜戦争の真実
を学び始めた一人です。私たちが信じ込まされていたものが真実ではなかったと気づいたとき
の衝撃と怒りは、今も私の中に湧き続けています。
 思えば昨年夏、高山正之氏の「空の神兵と呼ばれた男たち」を読んだことをきっかけに、習
志野駐屯地の「空挺館」を訪れ、そこで奥本康大さんに出会い、防人と歩む会への入会と12月
23日の兒玉団長と奥本さんの講演会への出席(残念ながら私は当日病気で出席は叶いませんで
したが)そしてこの度の降下初め予行演習への参加と、まるで導かれるように繋がっていきま
した。
 冷気満ちる中、風の具合で開傘の様子を真下から見ることができ現地ならではの体験をしま
した。今までは降下の華やかさや飛び降りる団員の勇気に驚嘆するばかりでしたが、その華や
かさの裏には鍛え上げられた体と強靭な精神力、作戦を遂行する綿密で周到な準備とそれを支
える多くの部隊と団員の存在があることを葛城会長の「第一空挺団訓練検閲」のレポートで知
りました。
 その上で今回の降下訓練を拝見し、冷たい風の吹く中、寒い素振りも見せず任務を果たして
いる団員の姿を見ていると、身の危険をも顧みず祖国を守るため、決死の覚悟で敵陣に乗り込
んだパレンバン作戦の「まなじり高き強者」の魂が第一空挺団へと脈々と受け継がれているの
だなと胸が熱くなりました。
戦後長い間、心無い言葉や中傷にもじっと耐え国防の道を選んでくださった自衛官の方々の志
に深く感謝すると共に申し訳なさでいっぱいになります。
 私たち国民は隠されてきた史実を学びマスコミが伝えない自衛隊の姿を知り、そして今年こ
そ、その苦労に報いるため自衛隊を独立国ならば当然の日本国軍に押し上げる元年としたいも
のです。
最後になりましたが、素晴らしい一日に参加する機会を下さった葛城会長、山口事務局長ご一
緒いただいた皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

石島直子


平成29年12月23日(土)12月フォーラム 兒玉恭幸先生、奥本康大先生

兒玉恭幸先生「空挺団の役割と現状」、奥本康大先生「パレンバン落下傘降下作戦と武人(もののふ)だった父」
  奥本 

私は、第2次ベビーブームに東京で生まれて、小学校の給食は食パンと牛乳、お米は一切出
ず、「昔、戦争をしたアメリカとも今は仲良しなんだよ。だから、あなたも友達とけんかをし
ても、仲直りをしなくっちゃ。」大人たちにそんなことを言われて育った世代です。受験科目
にないからと、中高ともに近代史は授業すらなく、第二次世界大戦は知っていても、極東国際
軍事裁判という言葉すら知りませんでした。
そんな私が28歳のときに、たまたま派遣会社から紹介された仕事が、防衛省の中をご案内す
る、「市ヶ谷台ツアー」のガイドでした。そこで、初めて近代史や、自衛隊の成り立ち、防衛
について学ぶ機会を得ました。
葛城会長、兒玉団長との出会いもそのときでした。給食にお米が出なかった理由などを知り、
今まで学んで来なかったことに、衝撃を受けた3年間でした。
しかし、その仕事を辞めてからもう約15年。日々の繰り返しの中で、防衛について考えること
もなくなっていました。そんな中、当時のガイド仲間からのお誘いで葛城会長や兒玉団長と再
会し、今回のフォーラムにも参加致しました。そんな、ちょっとだけ防衛についてかじった気
になっている一民間人が、今回参加して感じたことを記します。

まず、衝撃だったのが、はじめに全員で国歌を歌うことでした。声を出して国歌を歌ったのは
何年ぶり、いや、何十年ぶりでしょうか。そんなに長い間、歌ってなかった自分に気付き、驚
きました。日本国民としてそんなことで良いのだろうか、と思いました。

奥本先生のお話は、お父様の手記をもとに書かれた著書のお話で、パレンバン落下傘降下作戦
についてでした。実話とは思えないような出来事の連続で、当時を生き抜いた人々の決断力や
思いの強さを感じるものでした。
特に私が心を掴まれたのは、奥本先生のお父様の手記の写真でした。とても多くの古い帳面の
写真。奥本先生は、お父様は寡黙な方だったと仰っていましたが、そんなお父様が声に出さな
かった熱い思いが、詰まった帳面なんだろうと思いました。
今、私たちは、SNSという手段で、とても簡単に、多くの人に自分の思いを発信できるように
なっています。
それはそれで、良いことだと思いますが、なんだか、WiFiの電波のように、言葉もふわふわと
空中に浮いているような気がするのです。奥本先生のお父様の手記の写真には、ずっしりと、
重みがあるように見えました。
奥本先生は、「親父の名前で出ています」と、茶目っ気たっぷりに仰っていましたが、あの大
量の手記を読み解き、本にまとめるには、そうとうな力が必要であったのではないかと思いま
す。昔、熱い思いで日本を守ってくださった人々がいて、現在に繋がっているのだというこ
と、それを伝えてくれる方がいないといけないんだと、改めて思いました。

そして、今回のフォーラムで、いちばん私の心に響いたのは、参加者からの質問への第一空挺
団兒玉団長の答えでした。
「アメリカは日本を守ってくれるのか」という問いに、「その為には、日本が本気を見せなけ
れば」と答えられ、例に出されたのが、東日本大震災のときのことでした。
福島第一原発を自衛隊がヘリからの放水で冷却した、自衛隊が身を挺して行動を起こしたのを
きっかけに、米軍が動き、近海の守りをかためてくれた。そのため、自衛隊は災害派遣に専念
できた、ということでした。
あのとき、私は、災害派遣活動を行う自衛隊をテレビで見ながら、ずっと応援をしていまし
た。 不謹慎かもしれませんが、自衛隊の力が民間人に伝わることが、嬉しくもありました。
PKOでも非戦闘地域でのみ活動できる自衛隊。憲法によって、危険から守られているようにも
取れます。彼らは戦えるのか、彼らが命をかけて国を守ることなんてあるのだろうか。本当に
彼らは必要なのか。多くの民間人が心の中で思っていることだと思います。それが、遠い外国
ではなく、日本で、災害派遣で力を発揮することで、その勇姿がテレビで流れることで、彼ら
の必要性をわかってもらえると感じたからです。命懸けじゃないかもしれないけど、必要でし
ょう、と。
でも、私は間違っていたのです。何が起こるからわからない原発事故の現場で、命懸けで放水
を実行した自衛官たちがいたのです。しかも、私は、テレビを見ながら、日本国内なんだか
ら、なんの枷もなく、自衛隊がどんどん現地入りできるものだと思っていました。
しかし、実際には、命懸けで放水を行ったことで、米軍が動き、近海の守りをかためてくれた
ことで、はじめて自衛隊が、災害派遣に専念できたと知りました。
衝撃的でした。この平和ボケした日本で、自分もなんとボケていたことか、と思い知りまし
た。災害派遣だけでなく、外からの脅威についても備えなければいけない。そんな当たり前の
ことなのに、まったく考えていませんでした。米軍は、なんかしら手伝ってくれてるんだろう
な、でも、ニュースで見ないな、とも思っていました。まさか、沖に空母を並べてくれていた
なんて、まったく想像すらしていませんでした。
兒玉団長が仰ったこと、「日本が命懸けであること、本気であることを見せなければ米軍は動
かない。だから、我々は、本気を見せなければならない。」という言葉。兒玉団長は、力みな
く、淡々と仰いましたが、かえって力強く、頼もしく感じました。
そして、今まで知らなかった自分を恥じるとともに、知る機会を与えてくれた葛城会長に感謝
しました。これからも、私たちが知っているようで知らないこと、防衛について、山の生態系
について、日本という国について、発信し続けてください。
私は、私にできる小さなこととして、次の機会には、防衛にまったく無関心な友人を誘ってフ
ォーラムに参加したいと思います。
今年の締めくくりに、ふだん使わない脳に刺激を与えてくださって、ありがとうございまし
た。
葛城会長、奥本先生、兒玉団長、そして皆様が、良いお年を迎えられるよう、祈っておりま
す。

大西彩 大西彩


平成29年11月25日(土)11月フォーラム 馬渕睦夫先生

講師 馬渕睦夫先生 演題「激動の国際情勢とわが国の対応〜安倍新政権の歴史的使命〜」
 

 この度は葛城様とのご縁でオイスカ理事長と11月例会に参加の幸運を頂き、馬渕先生の講演
と会の皆様の熱気に触れ、心を熱くし感動で胸がいっぱいです。
 この日、葛城会長は開会の挨拶の中で、「今日11月25日は憂国の士・三島由紀夫氏が自決
された日であり、1日前の24日はペリリュー島にて中川部隊長率いる英霊の方々が玉砕された
日です。ちょうど今月初旬、同島を訪れましたが、あまりにも小さな島で驚きました。戦争
中、米軍が3日で落とせると自負したのがわかるほどささやかな島で、日本軍は何と74日も戦
い抜き持ちこたえたのです。実際の島を見て、先人たちの偉大さを肌身で感じることができま
した。そして、今の日本を先人たちがどのような思いでご覧になっているかと思うと、恥ずか
しい」と話されました。そして外務省出身であるにもかかわらず、国体を重んじ活動しておら
れる馬渕睦夫先生のご紹介をされ、先生の講演を頂きました。
 馬渕先生は初めに、防人と歩む会の皆様に「防人と…ではなく、皆様ご自身がまさに防人で
す」と激励され、「これからの日本を守り支えていくのは皆様の行動です」と。そして「11月
23日は天皇様が天照大神と新穀を共にされ精神的に一体となられる新嘗祭の日です。勤労感謝
の日はマッカーサーが作ったもので、本来の新嘗祭の日にするべきだ」とおっしゃいました。
また「激動の時代である今、偉い人が…ではなく、皆様方お一人おひとりがどのような行動を
具体的にとるかが重要であり、皆様の行動でしか日本は動かない」と激励されました。
 馬渕先生の博識と識見で、私たち一般国民には知られざる世界情勢や隠された歴史の真実、
グローバリズムの危険性、フェイクニュースの実態、世界の裏事情等々を1時間半という限ら
れた時間の中で多くの重要な情報を頂きました。そして我々にできることは真実を知ること、
そしてこういう世情の中に自分たちが居ることを知って正しい歴史認識を取り戻すこと、憲法
改正はまず古事記、日本書紀を読んで、日本の国体の認識が最も大切だとのこと、戦後GHQが
どんなに洗脳しようとも、社会主義化しようともできなかったのはご皇室があるからで、日本
の権威は国体の神髄であるご皇室であり、ご皇室がなくなったら日本は日本でなくなる、と強
く熱くお話し下さいました。
 そして「日本は君民一体の国で国民がご皇室をお守りしてきた国で、陛下が新嘗祭を行うこ
とで天照大神と一体となられる。だから陛下の祈りには力があるのです。そして古事記にある
天壌無窮の神勅、斎庭の稲穂の神勅を見れば分かるように、男系の天皇でなければならない。
男系だからこそ天照大神と一体となり御意思のままに日本国民を栄えさせまとめておられる。
だから『知らす』という。これは女系になったら天照大神と一体とならず途絶えてしまい、日
本(の国体)は終わってしまう。我々国民は八百万の神々であり、国体をお守りする防人で
す。決して女系天皇を認めてはなりません」と先生は強く熱く全身全霊でお話し下さいまし
た。先生が深い愛国心をもって命懸けで国体を守ろうと闘っておられる気魄に、心が震えて涙
が止まりませんでした。
 穏やかで温厚な印象の先生が、これほどまでに気魄に満ちたお話をして下さったのも、葛城
会長をはじめ防人と歩む会の皆様が先生と心を同じくする同志だからだと感じました。この時
代にこのような方々が居て下さる……私は生きる英霊のように心から手を合わせ、尊く、有難
く思いました。憂国の士、英霊の御霊も必ずや喜んで、全霊で御守護下さっているに違いあり
ません。
 今回、防人と歩む会の皆様とご一緒できたことを心より感謝申し上げます。頂いた気概を胸
に、ご皇室を戴く国民として先人たちに恥じない生き方と活動をしていきたいと思いました。
馬渕先生、会の皆様、貴重な機会をありがとうございました。
佐藤きく恵


平成29年10月28日(土)10月フォーラム 河添恵子先生

講師 河添恵子先生 演題「北朝鮮を巡る米中露の攻防〜日本は何をすべきか」
河添恵子  集合

 日本と中国の現状は良好とは言い難い。1972年の国交正常化以降、日本の多くの企業は
安価な労働力を求めて中国に進出していった。
 日本企業の現状に著書や、講演で長く警鐘を鳴らし続けたのがノンフィクション作家の河添
恵子先生である。今回の講演は中国に対する関心と河添先生のファンで様々な年代の観客が集
結した。

 講演では、写真や様々な資料を交えて視覚的に、立体的に分かりやすく中国共産党の序列
や、現状について説明された。河添先生は日本では報道されていない中国の現状を、原語から
読み解き我々に披露した。そして河添先生が語った意外な事実は日本では考えられないほど、
中国の首脳部は外見に気を使う事である。例えば習近平等チャイナセブンは皆、背が高く、髪
の毛が黒々としている。無論、カツラや増毛を施しているである。そして失脚するとカツラを
取られて禿げた後頭部をテレビで晒されてしまう。内容よりも外見を重視する中国が張子の虎
である現状が河添先生により暴かれて行くのである。

 1972年の2月に当時のニクソン大統領が電撃的に訪中し、毛沢東、周恩来と握手をした所
謂、ニクソンショックである。その裏方に居たのは1971年に極秘訪中したヘンリー・キッ
シンジャーである。 キッシンジャーは毛沢東から、習近平までの中国の指導者と会ってお
り、94歳ながら未だに米中関係に深く関与している事実に驚かされる。そしてクリントン元
大統領夫妻と中国の関係はやはり衝撃的である。

 河添先生の講演を拝聴して思った事は、日本のマスコミが報道している中国の話題は表層的
な事柄のみで、我々が知るべきディープな事実はベールに覆い隠されている事である。真実を
河添先生のリサーチ能力によって我々にもたらされる事を喜ぶべきであろう。北朝鮮問題にし
ても、中国、ロシア、アメリカで駆け引きはスタートしており予断を許さない状況である。

 我々は冷静に事実を虚心坦懐に見つめ、中国と関わらず、突き放しながら情報を収集する日
本人にならなければならない。会場に集結した聴衆が共有した感慨であろう。全ての日本人が
目を見開き中国と向き合う事を願いたい。中国に未だに拘束されている同胞の帰還を願って。
そして河添先生の言葉が正しく流布される事を祈りたい。

秋山大輔 秋山大輔


平成29年10月11日(火)〜呉・江田島研修旅行

夕暮れの桟橋  自衛隊艦船
呉・江田島研修旅行の感想である。時系列で述懐したい。

 初日は夕呉クルーズと称した軍艦巡り。先月も当会行事で、横須賀でも同じような体験をし
たが、ある意味、 似て非なるものであった。呉と横須賀の街の雰囲気はまるで真逆であり、正
に日本と異国。横須賀の街は、その一部とはしながらもアメリカナイズされ、更に艦船に翻る
星条旗。これら現状は、様々な部分において仕方ないのだと、頭では理解しながらもつい眉を
顰めてしまう。
翻って呉の街は、伝聞通り街や人が帝国海軍、また海上自衛隊と共生している様が、在り在
りとわかる。そのことだけでも日本人としてのアイデンティティーを再認識し、残る二日間の
研修への期待値を弥が上にも膨らませたのであった。
てつのくじら館外観  掃海作業説明
 二日目は、まず、てつのくじら館へ向かう。退役したとはいえ、機密の塊と言われる潜水艦
に、無論、一部のみではあるが、本物の内部を見学できたことは稀有な体験であった。
 また、対日飢餓作戦でばら撒かれた無数の機雷の除去、「掃海」は、戦後の帝国海軍の一大
任務の一つといえ、それによって戦後日本の礎を築く端緒たりえたという事実は、もっと広く
日本国民に周知されるべきではないか。帝国陸海軍の武勇伝たることで、この手のことは枚挙
に遑がないが、これだけの活躍が葬りさられているかのごとき現状には憤りを禁じ得なかっ
た。
総監部説明風景  「かが」外観
 呉地方総監部は、旧呉鎮守府であり、明治以降、いかに日本海軍にとって呉が重要であった
かを、また、最盛期の呉の人口や街の様子を聞くにつけ、改めて呉に帝国海軍あり、共存共栄
の歩みを伺い知ることが出来たことは強く印象に残ったものだった。
 また、艦船見学で見た「かが」は、先月の「 いずも」と同型艦ではあるが、改めてその大き
さに圧倒されると同時に、大和は更に大きかったのだな等と何かどこか大和の方に想いを馳せ
ていたところがあった。それはきっと、所謂航空母艦では無いこと、見学時に、艦載戦闘機の
重さには耐えられるが、発艦の摩擦に耐えうる甲板では無い等の説明を受け、小改装で空母転
用可能との自身の認識との乖離と、本来的、潜在的に世界屈指の正規空母運用能力を有し造船
技術も有りながら、中途半端な空母擬きでお茶を濁さなければならない、命を賭して下さる防
人の方々に、全力の発揮を許さない戦後日本の現状に対し、自衛官と自身の隔靴掻痒の感を内
包していたからかもしれない。
 夜に催された旅館での宴席は、大いに盛り上がった。その旅館の歴史同様 、栄えある帝国海
軍を正統に継承する、海上自衛官の聡明で力強い立ち居振舞いは、ただ酒席を楽しんだだけに
留まらず、その場にいる我々全員を惹き付け、自衛官、防人斯くあるべしと強く印象づけるに
は十分であっただろう。
大講堂での集合写真  水交館  高松宮記念館
 最終日、誤解を恐れずにいうなれば、自身にとって一番のメインであった旧海軍兵学校、現
海上自衛隊幹部候補生学校の見学があった。自らが昭和初期以前の生まれであったなら、石に
かじりついてでも間違いなく目指していた海軍兵学校。戦後、海上自衛隊幹部候補生学校へ名
前は変わったものの、自身にとっては海軍兵学校であり、正に聖地と呼べるものであった。校
舎や大講堂は勿論、敷地内の水交館や高松宮記念館等の先帝陛下が訪れた写真等 を、現実と重
ね合わせ、気持ちが高揚したものだった。更に、大講堂ではマイク不要、早口禁止ということ
が示すよう、隅々まで響き渡り、その威容さ、その趣たるや筆舌に尽くしがたいものだった。
 中畑第1術科学校長が、幹部候補生学校案内時に、「ここは海上自衛官士官にとっての原点
である」と言い切るその姿は、帝国海軍のその矜持と伝統、その全てがそこに存在し、それを
寸分の狂いもなく継承してきた自負と証左であるように、私には思えてならなかった。
幹部候補生学校全景
 あれから数日経ったが、自身が強い憧れを抱いていた旧海軍兵学校への見学は、何かこう言
い知れぬ感動であり、それはたった今も彼の地に居るかの如く、微塵も色褪せることは無い。
真っすぐに伸び る松の木、今まで写真でしか見たことのなかった赤煉瓦の校舎の凛とした佇ま
い、建物内部の階段の手摺木の光沢などからは、時の重み、ある種のノスタルジーを感じずに
はいられなかった。そう、耳を澄ませば、帝国海軍兵学校生徒の息遣いさえ聞こえてくるかの
如く。

 最後に、今回の研修旅行が、かくも成功裏に修了し終了したのは、後藤理事長、山口事務局
長、現地の小川様、奥中様はじめ、実に様々な方々のご尽力の賜物であったことは論を俟たな
い。衷心より感謝申し上げたい。

工藤芳貴 工藤 芳貴


平成29年9月23日(土)9月フォーラム 田村秀男氏

講師 田村秀男氏 演題:「激動する世界!日本再生待ったなし!」

九月の講演は、産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員である田村秀男氏の御話を伺った。
経済の話は難しくて分かりにくいし私にはちょっと・・・、と思われている方が多いかもしれ
ないが、田村氏の御話は経済の要点を押さえ、明快でとても分かりやすかった。
まず前半は経済から見た世界情勢の御話であった。
トランプ大統領は当選直後は対中強硬姿勢であったが、アップル等アメリカ企業にとって中国
市場は重要ということもあり、いろいろ考えているようである。
また、中国は北朝鮮に石油支援を行っているが、これは人道的観点からやっているわけでもな
んでもないとのこと。国際相場の二割増しで売りつけているというから強かである。さらに、
北朝鮮はそのお金をどうやって工面しているかと言えば、お金を払う代わりに鉱山利権を譲渡
しているという。北朝鮮には戦前の朝鮮総督府が調査したが未開発の石炭、ウラン、金などの
資源が日本より豊富に眠っているそうだ。
国連の統計によれば、北朝鮮は人口約2500万人。GDPは170数億円(二兆円程度)
で、日本の0.37%。島根県、高知県と同規模である。しかしながら、その五割を軍事予算
に費やしている。国民の暮らしは御察しであるが、核兵器をほぼ手にしてしまった。それをみ
すみす見逃してきた。
北朝鮮の貿易の相手は九割が中国であり、中国が金体制を支えていると言えるのだが、その裏
には日本の経済政策の失敗もあるという。
というのも、日本の危機というのは、北朝鮮のミサイルもそうだが、国力、経済が衰弱してい
ること。
アベノミクスと言うのは、金融緩和による円安と株高と企業利益が連動したもの。日本全体の
企業の経常利益は80兆円程。そのうち設備投資が45兆円、利益剰余金が20数兆円。アメ
リカは設備投資にもっと回しているのに対して、今の日本はこの利益剰余金(使わないお金)
の割合が高いということであった。M&Aに備えているのも分かるが、日本で稼いだお金を日
本で使わないのは病的だそうだ。
企業の設備投資を促すためにも、消費税増税は凍結すべきということであった。日経新聞が
「政府は金使うな。増税せよ」と言っているが、その背後には財務省がいるという。消費税を
8パーセントにしたときにGDPがガクッと下がったのを覚えていないのだろうか。
日本のGDPは530兆円程度で、民間にはまだ600兆円眠っているという。これを回せば
よいということであった。
最後に、「今日の御話をまとめると、『金融緩和を続けて、増税を止めて、軍事予算をGDP
比2%にする」ということで宜しいでしょうか』と質問したところ、笑いながら何とも言えな
い感じで頷いておられた。
とにもかくにも、経済を立て直して国力を強くしなければ国際社会ではなめられるということ
を感じた。
皆さんの周りを見て御覧なさい。金持ってる人間が発言力強いでしょう?それとなんら変わら
ないのである。
軍事・経済・外交と言うのは一体なのだということを再認識できた講演だった。
(匿名希望)


平成29年8月19日(土)8月フォーラム トリトン海野氏

講演 トリトン海野氏 演題:「元自衛官、今ラッパ芸人による演奏と葛城奈海とのトークショー」
   

 「こんなフォーラムは初めてだ」 2時間のフォーラムの終了後、どこから
かそんな声が聞こえました。 そのくらい2時間笑いっぱなしの会でした。
トリトン海野さんは、とにかく人を喜ばせるのが好きで、自衛隊が大好き
で、日本が大好きな方だと、熱い気持ちが伝わってきました。 フォーラムの
中では、アジアの国々が日本をどう思っているかというお話もしてください
ました。
これまで、アジアの国々から日本はよく思われていない、と思っていたのですが、そう思って
いるのはほんの一部の国で、ほとんどのアジア諸国からは感謝されていることを知り、そうい
うことこそ、もっとたくさんの日本人に知ってもらわなければいけないと思いました。 楽しく
笑いながら、史実を学んだり、自衛隊の裏話を聞けたりと、大変有意義な時間でした。
いつかぜひ「トリトン海野と行く!近代史の旅」が実現されることを望みます。

秋山仁美

<落合道夫さんの感想>
昨日、トリトン海野氏の講演を聴いた。海野氏は50代の元自衛官の方で、自衛隊では落下傘部
隊からラッパ手、市ヶ谷の広報まで広範な任務を体験した。
 非常に活発多能な人で退官後の現在は浅草で芸能活動をしている。来年にかけては別の仕事
で硫黄島に渡航する予定があり、現地で鎮魂のラッパ吹奏を行う。
講演では自衛隊での興味深い体験談の他、実際ラッパを吹いてくれた。上手だ。ラッパには楽
器、曲ともに陸軍式、海軍式がある。航空自衛隊は陸軍式だという。高齢の軍隊経験者はラッ
パを聞くと深い感慨があるだろう。軍隊生活では起床から就寝まで皆ラッパだったからだ。
市ヶ谷の広報担当時代には東京裁判の説明もしたが、当然愛国的で東京裁判の正当性を否定し
た。田母神さんには褒められたが沖縄の反日派から苦情が出た。すると防衛省内局は野党を恐
れて、説明を止めさせたという。
しかし軍隊には愛国主義の価値観と思想が必要だ。軍隊は兵器の管理人ではないからだ。
それどころか思想は最強の国防の武器なのだ。だからあらゆる軍隊は自国の歴史を正当化す
る。
しかし自衛隊にはそれがない。これではいざという時に組織はバラバラになってしまう。正し
い歴史観が必要だ。
? 1948年の米ソによる東京裁判は日本の戦争を侵略と断罪したが、その3年後の1951年には
マッカーサーが米国議会で日本の戦争は自衛戦争だったと歴史観を改めている。歴史見直しの
第一号である。
これは東京裁判の否定である。大東亜戦争を自衛戦争とした日本の歴史観が正しいのだ。
NHKはまだ東京裁判史観にしがみついているが、滑稽であり時代遅れであり有害だ。これは
NHKが独立前の占領軍放送のままであるからだ。
そこでNHKは解体し、国営放送を開始することが必要である。

以上


平成29年7月22日(土)7月フォーラム 荒平一也氏、清水雅彦氏

講師 荒平一也氏、清水雅彦氏 演題:「アデン湾での海賊対処の実態と今後のシーレーン防衛」
   

 今回は、自衛隊に守られる側、守る側として、民間船側の荒平一也氏、海上自衛隊元1等海
佐の清水雅彦氏の御二方に御話を伺った。
舞台はソマリア沖のアデン湾、海賊対処の任務である。
湾と言っても、その大きさは日本がすっぽりと収まるほど。そのうちの東西約900kmの区
間での護衛任務である。年間約2万隻の船舶が航行し、そのうちの約1割が日本の関係船だと
言う。
当時は海賊船が増加傾向にあり、船員が「その海域行くくらいならこの会社辞める」というほ
どの場所だったそうである。

 荒平氏の御話で印象に残っているのは、実際に海賊に襲われ耐えている時に、「もう体当た
りでもするしかない」という覚悟を決め、そのような態度を示したら、海賊が逃げて行ったと
いうくだりであった。抑止力と言うことについて、そのような毅然とした態度を示すことはや
はり重要なのだという示唆を与えてくれた。
清水氏の御話も、P−3C哨戒機による任務での実際の現場のことが良く分かる御話であっ
た。
結論から言うと、「任期中は、護衛対象や、警戒監視飛行海域の船舶に、海賊には指一本触れ
させなかった」ことが成果だということであった。指を触れさせてからでは遅いのである。
他にも、滞在したジブチ共和国のことや、現地の方との交流も御話し頂いた。
また、「飛鳥Uの乗客が即席で拵えた『自衛隊ありがとう』という垂れ幕をさげてくれてい
た」「貨物船の船員がブリッジに整列して敬礼してくれていた」など、ハンケチ無しでは聞け
ない逸話もあった。
これこそが自衛隊に対する一般国民のごく自然な態度であろう。
任務を終え日本に帰国した際には、空から綺麗な新緑や富士山を見ると、日本に帰って来た
な、と思ったそうだ。
さらに管制官の「日本語で申し上げます。おかえりなさい。」との言葉に、隊員達は号泣した
そうである。

 御二方の御話の後は葛城会長を交えた鼎談が行われた。
清水氏はその時に荒平氏の話を聞いて初めて知ったこともあった様で、情報交換の為にも民間
と自衛隊の交流の場を増やしたいと提案して居られた。大いに期待したい。

 最後になるが、遠い異国の地で、自国の軍隊に守ってもらえる、守ってくれる存在がいると
いうのはどれほど安心なことか―。ということに思いを致した講演であった。 匿名希望


平成29年6月24日(土)陸上自衛隊広報センターりっくんランド見学

6月24日(土)に行いました陸上自衛隊広報センターりっくんランド見学

おはようございます。
昨日は大変お世話になり有難うございました。
良い企画で大変満足して帰路につきました。楽しい一日でした。

早速、山口さまからお礼状も関係者に送信されており、流石、組織運営が行き届いていると感
じた次第です。本当に有難うございました。。

今回、ご案内戴いた行事の中に、陸軍予科士官学校(振武臺)のツアーという文字が眼に留ま
り、是非、参加したい衝動に駆られました。(^o^)
何故なら、その昔、亡き父が学んだ学校であり、一目見てみようと、申し込みさせて頂きまし
た。

父は陸軍士官学校54期生、当時の予科士官学校は、今の防衛省のある市ヶ谷台にありました。
戦争が次第に激しくなり、生徒の募集人員も増え、それに対応する為、57期生からは振武臺に
移動したようです。
ブルーリボンの荒木和博さんのお父君は57期生であり振武臺組です。荒木さんの話だと57期
生は校舎の建築作業まで手伝だったそうです。(まだ完成していなかった?)

父は振武臺では学んでおらず直接の関係はないのですが、当時のエリート教育の一端を垣間見
ることが出来、有意義な一日となりました。
軍人教育の実態について勉強をさせて頂き、本当に有難うございました。

戦時中、短い期間に徹底した軍人としての素養を身に付け、雄々しく戦地に赴いた若者が大勢
いたことを、正しく後世に伝えなくてはと感じました。

悲しい話しですが、この振武臺で学んだ57期生、58期生の青年将校の半数以上が散華された
と聞いています。
文字通り、国と家族を護る為、最前線の戦場で倒れた将兵のお蔭で今の平和があることを、自
分達は決して忘れてはなりません。また、靖國の英霊を悲しむ国にしてはなりません。

蛇足ですが、当時の陸軍士官学校のシステムについて一言加えたいと思います。

士官学校に進学するには何通りかの方法がありました。
陸軍幼年学校、中学からだけでなく最後の方は実務経験を積んだ下士官まで門戸が拡げられて
いたようです。
父は中学校4年修了時点で陸軍士官学校を受験し、合格しました。(飛び級?)
当時の制度としては、必ず予科士官学校に入校し1年間で卒業し、戦場体験(約1年の戦地で勤
務)。
その後、陸軍士官学校本科(座間)に入校し、本科卒業後に見習い士官経験を経て少尉に任官
したとあります。

当時は20歳で少尉に任官ですから、戦時下と雖も、今から考えれば若い将校です。(笑)
兵隊検査で召集された人たちと同い年です。(今の防衛大学は22歳で任官です。(笑))

予科士官学校卒業後の1年の現場実習の間に、階級は上等兵から始まり、軍曹までの昇進する
制度があったようです。(階級に応じた任務を経験させる制度?)

現代と比較するのは無理がありますが、展示されていた、当時の士官学校の生徒の文章、手
紙、筆跡からその当時の教育の凄さや、国防に対する生徒たちの心意気を感じずにはおれませ
んでした。

また、機会があればこのようなイベントに参加したいと考えています。
今後とも宜しくお願い致します。
奥本康大 拝


平成29年5月27日(土)5月フォーラム 林 直人氏

講師:林 直人氏
演題「現下の国際情勢に鑑みて我が国の防衛計画の現状や如何に」

講演を聞き
自分の国は自分たち自身で守る―。
林直人元陸将の御講演は、そういう当たり前のことを再認識させられる御話であった。
日本を取り囲む国際情勢は、もはや「今日も平和だったから明日も明後日もその先もきっと平
和」とは言っていられない様である。
中国は力の空白ができるとすぐに侵略する。中国の2050年の国家戦略地図によると、日
本・オーストラリア・ニュージーランドは中国の領域になっているという。恐ろしい話だ。
ロシアは力の信奉者で、約束をいかに破るかを考えながら握手を交わす。北朝鮮はいつミサイ
ルを撃ち込んでくるかいよいよ分からない。
「核実験はいつでもできるぞ」という強気の姿勢。
韓国は新北派の大統領が誕生し、そもそも国際常識が通じない。
そして同盟国という名の日本の持ち主、アメリカ―。
日本はこれらの国際法を守らない国々と対峙していかねばならず、その為にも防衛費の増額が
急務と言うことであった。
各国の防衛費を見れば、中国は言わずもがなで、韓国ですら防衛費を増額しており、ロシアは
GDPは世界で12位なのに対し防衛費は4位。対GDP比は5.4%という。
各国が自国の防衛、安全保障をいかに重要視しているかが分かる数字であった。
日本も三沢基地で英国空軍と画期的な共同訓練を実施し抑止力を働かせたりと、予算が無い中
で智恵を出しているとのこと。
だが、「予算が無い中で」等と言わず、防衛費をGDP2%に倍増させ、自主防衛努力をし、ア
メリカに頼り切りな状況からいい加減脱してはどうか。くしくも現アメリカ大統領は日本にそ
れを望んでいる。
ところが各国の人に対し実施した「国のために武器を取って戦うか」というアンケートに対し
「戦う」と答えた日本の若者は最下位。自衛隊だけではなく、国民の側の意識も変えて行かねば
ならない。
まずそれをやってこそフツーの自主独立した国と言えるのではないかと思った。
匿名希望


平成29年4月 1日(土)4月フォーラム 織田邦男氏

講師:織田邦男氏
演題「真の独立をするためには我々は何をすべきか」

講演を聞き
本日、織田さんのお話を拝聴し、いかに私たち日本人が平和ボケし、危機か
ら目を背けているかを改めて思い知らされました。
中国はジワジワと日本を侵略しようとしているのに、それを知っていて、そ
れが危機だと気づいていないのか、はたまた危機だとわかっていて見ないよ
うにしているのか…
「日本は外界に背を向け、内輪の議論に終始する」まさにその通りだと思い
ます。国民がこんなふうだから、憲法も変わらず、自衛隊も動けない。
何のために自衛隊が存在しているのかと、今まで見て見ぬ振りをしてきた自分にも腹がたちま
した。
改めて、正しい情報を見極める力と、真実に目を背けない強さを身につけようと、決心するき
っかけを頂きました。

秋山仁美


Copyright © 2017-2022,防人と歩む会 All Rights Reserved.